第963回 西区いきいき教室(西船場会館)

あいきょう【鱫鱜】(名)年をこえたる鮎。又、塩漬にしたる子持の鮎。− 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂発行(昭和12年1月25日新訂第360版)より引用。
 
 昼。限られた時間で昼食を得んとし行列するOLやスーツ姿の経済人には、私服に大きな衣装鞄を持って歩く僕は、全くふざけた格好の実に暢気なおじさんに見えたことだろう。
 数年前迄僕も斯くの如き姿で経済界をさまようていた。雷に打たれ志を得て、意義を感じ経済社会から退場した僕にとって、日々何者かによって与えられる希望は、たとえそれが闇雲なものであったにしても凡夫をして壇上に上がらしめ、発言を続けさせる力を与える。
 着替えながら、果たしてこんなビジネス街に未だ見ぬ当該事業の聴衆がいらっしゃるのか、といぶかっていた。西区への初上陸である。西区ご担当女史のお話を伺うに今日の日は既得エリアたる他区のご担当者様のご推薦であると知る。感謝。
 75分30名。今回は西区のテスト的実施である。合格すればまた西区の未だ見ぬ皆さん方に自説をお訴えする機会を得ることとなっていた。ここは西成区等の既存地区とは異なる演題テーマを課されている。
 下帯をしっかと絞める。偶然にも来舞あにさんからタイミングよくお電話を受く。幸先がよい。控室で御力の御貸与とお客様のお心をお開き下さるよう祈り、壇上に座す。
 45分の短きではあったけれど先ずは自説をお訴えし、皆さんと大いに笑う。お便所休憩して、而して後は付録で25分噺す。お忘れ物。
 先日の電柱による愛撫で我が部分入歯は粉微塵に粉砕し、仮歯かつ顔面裂傷のままの登壇にもかかわらず、お客様は実によく乗ってお心を開いて下さり、笑い声に励まされ後押しされて、全編75分を駆け抜く。
 「お客様はもとより主催者様にも可愛がられる表現舎たらんと努めよ」とは、尊し敬し奉るらいむ師の生前贈与のご遺訓なり。全編終了後、ご担当者と共に喜び合い、会の主旨に合致したる論進との合意を得たるは望外の喜び。後刻、西区の各拠点への壇上登用を受くるもまた嬉し。以上記録す。
 
 今回の引用は鱫鱜であるが、前段の記録には入れようもなく、項を別に分って閑話(あだばなし)する。
 伯父の淳ちゃんは魚釣りをよく好み、子供の頃、釣果の鮎を持って我が家に来てくれた。東吉野などの渓流で友釣りにしたと聞いた。我が家ではよくそれを塩焼きにした。幼い頃の思い出だ。
 伯父は言った。曰く、友釣りは一匹の鮎を買い求め、それを友鮎にして針を付け川に放すと、そこをテリトリーとする鮎が体をぶつけて侵入を阻止しようとする性質を利用して、攻撃してくる鮎を引っ掛けて釣り上げるという、誠にユニークな釣法である、と。どんどん捕まえた鮎を友鮎として交換して釣り続けていくらしい。
 ここで、ちょっとご高覧の諸賢にお尋ねしたいのだが、これのどこが「友釣り」か。これはまさしく「仇釣り」または「敵釣り」であって、友鮎がメスの場合、釣人は釣り上げられるオス達から「筒持たせ!」などの謗りを受けても仕方のない、実にヤカラな釣法ではないか。
 また友鮎も友鮎である。自分も友釣りで捕まり、釣人のやり口をよく知っているはずではないか。自身の背びれが釣人とつながっており、同じ種族を釣り上げるための針がついているのであれば、そこは同族相憐れみ「あかんで、ワシにぶつかったら捕まるで、来たらあかんっ」と大声で注意喚起するのが鮎として当然の行いではないか。
 それを平時と同じように些細な敷地越境や境界紛争に血道を上げるとは、まるで隣地隣家からの有利な用地買収にたった1センチの境界確定への不服で戦い抜き、買収交渉自体をオジャンポコペンにしちまうヘッポコ地主の狂態になぞることもできる。
 諸君は何に必死になってるんだ。何をやっているか!鮎よ、しっかりせい!
 大局を見ず、そんな争いを繰り広げれば、貴殿らは永遠に釣人の餌食として虐殺され続ける運命から逃れることは出来ぬ。
 願わくば、老練で世情に熟達した鱫鱜らが先頭に立って、頑迷な鮎界の習俗自浄の努力が求められるところである。
 
 しっかし、天然の鮎はうまかった。実にうまかったのである。