第934回 一大事件顛末記

 伝わるかどうか解らんが、精一杯書く。大変だったんだ。
 倒産したスーパーなんかの任意売却とかの話で物件を見に行ったとする。そういうことよくあるだろ。
 止まっているエスカレータを歩いて二階に昇ろうとして、止まっていると頭ではちゃんと解っているのに、一歩足を乗せた瞬間に、脳味噌がガックンとなって、体が「お、止まっとたんかいな」とやっと気づいて膝がグラッグラになる時があるじゃないか。
 あの瞬間のガックン、グラッグラは昔(過去ログ参照)、酒呑み過ぎて貧血で直角にブッ倒れ左頬骨を床にしたたかにぶつけて顔面骨折した時の「うわーあああ」という嫌な感覚を思い起こさせるので生理的嫌悪感を持っている。気持ち悪いよな、あれ。
 この「停止エスカレーターガクグラ現象」は、何だか脳と体の命令指揮系統に違和があって、奇妙な反応になってしまうんだろな。
 似たような事例に、「卵焼き甘いの辛いの、どうぞぉ現象」がある。
 お弁当の卵焼きの味は、各家庭によって微妙に異なるが、通常、関西では少量の出汁と塩・醤油で味を整える。よって卵焼きは塩系の味だ。
 ところが、関東系のお母さまがお作りになられる卵焼きは、甘い時がある。どういう仕組みになっているのか解らんのだが、甘いんだ。お砂糖を入れるかして、とにかく甘い。
 これはお口に放り込んでみるまで甘辛の判断がつかぬ味の大冒険である。だから学生時代から友人の弁当に卵焼きが入っているのを見るや、私は必ず等価交換、或いは例え不平等条約の浮目に遭ったとしても、「一つくれ、卵焼きくれ」と地団駄を踏む。味わうだけでお母さまのご出身に想いを馳せることができるからだ、実に楽しいではないか。
 交換した卵焼きをかたじけなしと押し頂いて、恐る恐る口に入れ咀嚼する。味はしばらくして味蕾を通じ脳幹に至る。慣れ親しんだ塩系の味なら私はウットリして喉下するのだが、意に反してアマ甘い時は、あの「停止エスカレータガクグラ現象」と同じ感じで「うわぁー、あまいやないけー」等とあなこいて大脳新皮質にブルブルとものすごい衝撃を感じるのだ。
 ま、最終的には吐き出すことなく、結局ウットリ喉下するので、「卵焼き甘いの辛いの、どうぞぉ」となるわけだ。
 
 これら現象に酷似した、私が最近体験した「食卓の蛍光灯破壊事件」の顛末を申し述べておきたい。
 数週前のことだ。天寧が突然、「お父さんっ!」と声をかけた。僕は夕食後、食卓に坐り本を読んでいたのだが、「ふわっ?」とリラックスし切った間抜けな返事をして、目を上げた。
 すると、彼女はあろうことかコンクリートブロック ― よくコンクリート塀を積むのに使うあれだ ― を私に向かって放り投げてくるではないか!
 完全にそれは外形的にコンクリブロックであった。私は「おわっ、何すんねんなああああ」などというあられもない声を発して、その飛んでくる石塊を受け止めるべく身をこわばらせ、衝撃に耐えようと身構えた。
 我が構えたる両の腕に、この石塊着弾せり。しかしそれはコンクリート製ではなく、発砲スチロールでできたイミテーションのブロックで、室内装飾用に使う、軽い軽い物だったのである。
 気づくべきであった。後で考えるとあり得ないことである。八歳女児に30キロもある石の塊をいとも簡単に放り投げられるはずがないということを。
 しかし、私は形に気を取られ過ぎた。満身に全力を込めて「石塊」の衝撃に備えたのだ。受け止めた手は30キロ用の力で数百グラムの泡体を受けたことになる。換言すれば、下即ち重力方向のベクトルはほぼ0で、それに反する上方向に30キロの力で、思いっきり両腕を差し上げた格好になった、全力で。
 
 バーン!!!!!
 
 食卓の上の暖色蛍光灯二本は、急には止まらなかった我が両腕のしっかと握る発砲ブロックが突っ込み、粉微塵に砕け散り、気がつくと、ブランブラン揺れる電気のカバーの下で、ブロックの形をした何か軽いものを両腕で捧げ持ち仁王立ちしていた。
 妻は僕を叱り、僕は天寧を叱るじゃんけん状態。かくして、わが家のダイソンはフル稼働し、事態の修復には夜中まで半日あまりを要したのであった。
 気をつけろ!蛍光灯が割れると掃除が大変だぞ!