第927回 角衛門って吉衛門の弟みたいな名前

 長いこと、この人と会いたいと思って度々自宅を訪れてきた。一人で、また娘たちを伴うて赴いたこともあった。一度などはOB会長ご夫妻と泥酔の状態で(子細に言うと令夫人と僕が泥酔で、会長は運転のために素面であった)、お母様にお取り次ぎを願ったが、ご面談叶わなかった。
 訪問だけではない。電話、メール等の連絡攻勢も全く効果がなかったのだ。音信不通であった。
 丁度、5年前の今日だ。文部事務官として洋々たる前途が在ったにも関わらず、彼の中で何か糸が切れたのだろう。彼は、職場はおろか、僕や僕たちの前からも忽然と姿を消したのだ。
 しばらくして、彼から便りが来たり、呂瓶兄に電話がかかったりして、消息が判明し出した。彼は、これまでの社会人生活で貯めた貯金数百万を、日本国中旅して散財していた。呂瓶兄ご一家を東京ディズニーランドに連れていったり、独りで東北や中国地方を回っている絵葉書が届いた。
 彼は後に職務放棄と聴聞会出席拒否により失職した。当然の処分であったろう。確か夏頃だったと思う。それからも彼の豪遊は続いた。親御の心配も尋常ではなかったろう。
 僕たちは度々集まっては本件についての対策会議を幾度も繰り拡げた。いかにしてこの放浪を辞めさせるべきか。彼の性格を鑑みて、資金が枯渇しても死ぬることはないと思われた。彼は実家に帰るであろう。出来得れば一刻も早く大阪圏に帰って来る方がよい。旅先で御難に逢うと大変だ。
 旅が出来るのは潤沢な資金があるからだ。では資金が無くなれば彼の帰還を早めることが出来るではないか!そうだ!それしかない!僕たちはあの人を呼び出し、狂ったように寿司を奢ってもらうことにした。
 「先輩!寿司を食わせてください!」
 東京のホテルに連泊していた彼に突然電話したにも関わらず、彼は即座に応諾。市内のある店を指定してきた。直ぐに帰阪され、阿倍野からチンチン電車に乗って、割と高げな寿司屋に連れていってくれた。
 5、6人は居ただろうか。僕たちは飲み次第の食い次第。彼の資金が枯渇し大阪に腰を落ち着けられるよう、涙を飲んで、堪え難きを堪え、偲び難きを偲んで、ゲラゲラ笑いながら、ワシワシ食ったのであった。
 あの時思った。彼、豪気豪快なり、と。後に幾度か同様の会食を催したが、それもプッツリ、鼬の道となった。資金が枯渇したのだろう。それ以来、彼は消えたのだ。今風に謂うと引きこもった。
 
 僕は今日、半年ぶり位に彼の実家に接近した。大正区社会福祉協議会に行ったついでに寄ったのだ。
 「今日も出ては来られないか」
 お母様にお取り次ぎをお願いして15分、彼は出てきた。元気そうであった。諸々の話などした。
 「僕も今は大変であるからして、恩返ししたいのは山々なれど、割り勘で立ち飲みなど行きましょう。」
 「お、俺は、飲まんど。」
 「飲まんで結構、電話するから出てくだされ」
 「応。」
 「では、また!」
 南恩か島から千本松の渡船場に至り、船に乗って加賀屋村に帰する。
 あの人が出てきたということは、春がきたんだなあ。