第904回 白昼夢

あ【亞】(名)つぎ。次位。「亞聖」。たぐひ。比類。「亞流」。「アジア」の略稱。「歐亞の天地」。― 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂發行昭和12年1月25日新訂360版より引用

幼穉園の時の天寧の同級生の男兒に、先生方から「アトム君」と言はれておる子がゐた。彼の名は「たかし」といふ。たかし君のあだ名が何故「アトム君」なるかは長年の余の疑問であり、その謎の解明の機會を窺つてきた。
先日の凧上げ大會(既述)の際、お氣に入りの先生にその疑問をぶつけてみた。公園の草原(くさはら)のベンチに先生と二人で坐つた時だつた。
先生は、靜かに「お父さん…、解りません?」と言ひ、穩やかな目付きで草原の先を見詰めた。
その視線の先を追ふ。そこには卒園生として凧上げ大會に參加し、天寧と遊ぶ「彼」がゐた。
先生と余の間に靜寂が流れる。
「あ」
余はハタと氣付いた。髮型だ。髮型が、鐵腕アトムの頭飾りみたく斜めに尖つてピョコネンとオッ立つてゐるのだ。
「あゝ、なるほど」
余は、疑問が融けた嬉しさに思はず立ち上がる。先生は、彼を見詰めたまゝ優しく言つた。
「毎日、見事にあの寢癖でした」と。
こゝで、亞と無さんのことをふと思ひ出した。余は大きくかぶりを振つて、腦内で優しく微笑む亞と無さんの笑顏を打ち消した。
「豬買ひ」と「高津の富」の夢でうなされたことを思ひ出した。嫌な汗がドッと瀧のやうに流れる。
日曜日。高津の富。池田引札寄席。今夜あたり、第二和室の亞と無先輩とのマンツーマン稽古で何度やつても出來ずに頭を描き毟るあのバージョンの夢を見る頃なのである。