第752回 御質問応答

小きみさん

僕は、草深い奈良の田舎の子で、野山で草葉にまみれて毎日遊び回っていた。小学生から大学までスカウトとして、近所の山で仲間とじゃれ合い転がり回って遊んでいたんだ。マイミクにそのメンバーらもいる(ねじれ君やぎんじろう君達だ)。
イギリスで生まれたスカウト(少年斥候兵)制度であったけれども、世界の辺境・宇陀で、その制服に身を包む僕たちが、いや僕たちこそが、創始者であるベーデン=パウエル卿のスカウト活動の本義本質を真に実践していると信じていた。毎週(そう実に毎週だったのだ!)、小さな焚き火を囲んではその仲間たちと「飛行機が無人島に墜落しても生き残れる奴になろう!」を合言葉に、地図を睨んで山をさ迷い、蛇含草を探して見知らぬ野草を貪り、鶏を潰しては飯を炊き、米軍野営教本までを実践した(ボーイスカウトは日本の誇る準軍事団体である)。それらの証が進歩章制度における我らの隼受章(中将に相当)であると思ってる。
※現在、制度に変更があったようで章の意義は当時と異なるようだ。
ある時、スカウトの先輩 − 修ちゃんだ − から4台のCB無線機を貰った。無人島で助けを呼ぶのに無線は要る。鉱石ラジオは作ったことはあったが、送信できるものはなかった。その機械はアメリカ製で29Mhz帯50ch出力50Wだったと思う(もちろん違法だ。時効である)。機械には申し訳に「緊急災害時のみ使用」というシールが貼ってあった。笑わせよる。
その機械をアンテナに繋いで驚いた。日常社会生活で見える世界以外に、電波を介して何千何万という人たちがメッセージの伝達をしている!(インターネットに初めて接続したときの興奮に似ていた)。知らなかった。その日から無線で話し合う。無線の世界はネットに似ている。CB(トラックドライバらが使う市民バンド無線)は、基本的に匿名で芸名で呼び会う。おてもやんにコルト、虎吉郎など。僕の名前は「ペン太」だった。
仲間らと無線で話していると、そこに驚く程の出力を炊いてブレイク(割り込み)掛けてくるヤツがいた。そいつは名を「さざ波」と言った。何がさざ波なものか、その出力は強く、大音量のガチャコンマイク(説明不能)を成り響かせ、さざ波ならぬ「津波」や「大波」の到来を思わせる衝撃を受けた。当時高校1年であった僕ら初心者はその出現に恐れおののき、マイクを手放し一瞬で沈黙した。その日から「さざ波」探しが始まったのである。
仲間の家からさざ波の波の出所を、アンテナ振り回して方向を探り地図に落とすと概ね町内であることがわかった。街中を自転車で走り29Mhzのアンテナを探し回ったものだ。CBを固定で喋ってるヤツはそんなに多くない。西名阪を走る移動局はお声がけして捕まえられても、すぐに電波が届かなくなり「泣き別れ(電波微弱により交信終了)」になる。彼は僕らが来るまで誰と話してたのだろう。寂しかったのかも知れぬ、始めは威丈高にブレイクをかけてきたが、回を重ねるごとに親密になってくる、話す時間も増えてくる。

「今日はさざ波さん、出てないんか?」などという程仲良くなってきたある日のことである。

近所の本屋で"CQ Ham Radio"誌を取ろうと手を伸ばすと、先に同誌を取り上げた者がいた。顔を見ると同級生の俊則君(仮名)である。
僕は尋ねた。
「久しぶりだな、お前アマチュアの免許持ってたんか?」
「いいや」
「へえ…。じゃあ、この本を何で?」
「いや、興味があって…」

(二人とも沈黙)

「まさか…、お前って…、…さざ波か?」

「(沈黙)…ああ。お前、…ペン太か?」

「(沈黙)…そうや。…何か、直接に話するのん、恥ずかしいな」
「そうだな、また夜にでも」
「ああ。じゃあな」

その後、僕は脱法行為がいやで0.5wの合法機を買ったが、しばらくしてアマチュアに移行した。局免は切ってしまったが、2年前に従事者免許を再発行した。今も無線ではないがマイクは握っている。
僕以外の仲間は皆理系でそれぞれの道に進んで行った。今もよく飲む。
さざ波は、後に無線の専門学校に進み、警察からICPO(インターポール・国際刑事警察機構)の無線担当として働いている。 → マヂで。

追記:後に、機械を改造して145〜7Mhzの消防使用周波数帯で喋っていて、なにになにされたヤツも仲間には、いる。