第750回 神之御手配

木曜日。朝、十時半集合。
着物に着替え。ラジオなんだが雰囲気を出すためにというアナウンサの方のご指定だった。
12時30分からのNHK第1「ここはふるさと旅するラジオ」の公開生中継。今回は、落語ミュージアムを核とした「落語の街池田」としての商店街と市の取り組みについてスポットを当てるという主旨。行政、商店主、落語ミュージアムの館長さんらと共に、アマチュアの引札寄席出演者として出た。
いつもお世話になっている行政、商店主の方々のターンが終わり、昼まま(激しい著作権版元チェックを経た)に乗せて乱坊の登場。
恐ろしいことをなさる方々だ。放送のド素人に60秒での複数の小咄と、番組の最期のエンドのなぞかけをスパッと渡せ切りにするんだ。
僕はアナウンサの方に、お願いだから検閲してコードチェックしてくれと、一週間悩み続けて印刷したネタ案を出そうとした。するとアナウンサ氏は「本番を楽しみたいので聞かないでおきます」と固辞された。
そんな殺生な。よけプレッシャーかかっとるがな。放送事故になったらえらいことじゃないか。
番組は池田の皆さんのみならず、仕事や行楽の車中、台所や作業場で聞く全国の皆さん、また中波帯だけでなく短波放送で海外に居られる邦人愛聴者、日本語学習者などを含めると、耳に届く数は数百万のオーダになるとの説明を受けた。
書いてきたネタを握りしめ呆然とする。

「ホンマに、これでエエのンか?」

そんなにも沢山の人の前で喋るつもりじゃなかった。小咄なんて初の試みだ。それに60秒て、そうでのうてもワシ元々話長いのに。まして、お客様が目の前にいないのに力が入るわけがない!ぬかった!誘いに乗ってノコノコ這いずり出てきた僕がバカだった。
しかしNHKの力はやはりすごかった。時間が近づくと、ワラワラと人が集まって来るではないか。何でこんな大きい公園でやるねんな!と思っていたが、理由がわかった。
中継開始時には数百名のリアルなお客様が中継車の仮設舞台の前にひしめく。ああ有難い!リアルな人間相手ならば拙いながらもお伝えできるかも。急に気楽になってお客様と共に60秒を楽しめた。とりあえず目的は達成出来たようだ。

感想を一言申し述べるなら、今回で初めて小咄が実に面白いことに気が付いた。上下の二つのフレーズで完結するルールをひとつ見ていただくと、次からはお客様自らがパンチラインを期待して決めの一言を待って頂ける。特にお喜びいただいたのは二個目の「運送屋さん、あんた陸上部やてなあ」「はいな、毎日トラックで走ってます」と、三個目の「風呂屋のおっさん、前月比で売り上げ上がったか」「ええ、すうぱーせんとー」だった。今までやったことなかったが、今度から小咄も使ってみたい。

ありがとう数百万人!

金曜日。
子供の日。ある方からの頼まれ事があって、三友事務所に茶亜夢さんを訪ねた。
事務所で一時間ほどお話して、今日の差支えを聞かれた。差支えなど二年前から何もないので無問題な旨回答。
すると、飲みに行こう、という話になり、車で街に。ご自宅は江坂なので車を置きに行く手間で、奥様に架電される。奥様もお仕事終了のご様子で江坂ピックアップ。僕は自宅飯が好きなのでご提案申しあげ、三人で大好物・悦子(鶏)鍋の用意に買物。
ご自宅へ赴き、鍋開始。
ところが、である。
僕としたことがカセットコンロのボンベまでは気が回らなかった。三カセット全瓶残量100分の5である。エベレスト山頂アタックの酸素ボンベなら全員死亡である。まるでアポロ13号の緊急事態のような状態だ。おまけに近所にカセットボンベを売る店はない、ときた。
嗚呼。
このままではキッチンと食卓を鍋が行ったり来たりする移動鍋形式か、キッチンのコンロの前で三人が立ち飲み形式で飲むか、の強烈な選択を迫られた。僕、茶亜夢さん、奥様の三人は天井を見上げ、この世には、神も仏もないものか、と落胆した。
そこへ、だ。そこへ、である。
鳴り響く一本の電話。茶亜夢さんの奥さまの携帯が鳴る。
「もしもし」
お忙しい奥様だ。仕事の依頼だろうか、とビールを呷る。ところが、電話の主は、なんと園長の智子先生。会長閣下の令夫人であった。曰く、ご夫婦でもつ鍋屋で飲んでいて、茶亜夢さんご夫妻にお誘いの電話だったのだ。
僕は、電話をひったくるなり叫んだ。
「その店を即、出て、カセットコンロのボンベを購入して、こちらにお越し下さいっ!」
立ってるもんは親でも使え、飲んでるもんは会長夫妻でも使え、である。
電話の向こうで園長の智子先生が
「なんで、あんた、そこにおんねん!」
と、叫んでおられる。目を丸くしておられるのが目に見えるようだ。
しかし、この方は回転が速い。
「悦子(鶏)やな」
「そうです、緊急事態です。アポロ13号なんです!」
「わかった!ボンベやな!」
「お願いしますっ!」
20分後、両ご夫妻と僕の5人で、家族水入らず悦子(鶏)鍋を楽しんだ。
この世に「神」は居られる、ハレルーヤ!嗚呼、南無八幡大菩薩!我々は、神や仏の手の平の上で踊る孫悟空にすぎぬ。そう痛感した一夜であった。