第477回 花の家ばにら女史

 朝、拔き。
 晝、燒きそば風パスタ(子と共に)。
 夜、三木市花の家ばにら看護士宅で中華風しやぶしやぶをごち。罐ビール一本、ご飯半膳。
 
 どうしても現役看護士に取材する必要2點があつて、自分のスーパー電話帳のページを繰つてみた。
 居るわけがない。看護士の友達なんて。未だ以て佛教高校出の修行僧風情なので己のスーパー電話帳には看護士など居らぬ。また一がけからの人間關係づくりからか。その過程でその美人看護士に心を奪はれて、また人生をかけた大騷動に發展するのか…。とニマニマしてゐたが、一人居たことに氣がついた。
 といつても、元々スーパー電話帳に載つてた仲良しがたまたま看護士になつたといふ希なパターン。落大出の經濟學士なので、忘れてゐたんだ。
 花の家ばにら女史、僕が1年の時の2年の人、22期生だ。「居つたがなー」即電話でアポイント。妻の授業と重なつてゐたので、子連れ小班での行動となつた。
 彼女は訪問看護士として現場で八面六臂の大活躍をされてゐる。午後4時から4時間程度であつたが、取材は豫想外の收穫であつた。
 晩飯をご自宅でご一緒した(味霸〔ウェイパー〕といふ中華だしを知つた)。シュン君(3年生)と宮ちやん(15年ぶりくらゐ)にも會へた。
 かつては、「三木の白豚」「大和の黒豚」と竝び稱された兩巨頭の面談だつたが、今では普通の形の三木のおばさんと住之江のおつさんになつてゐた。(でも最近、息子に「手水廻し」を實演して爆笑を得たらしい)
 落語大學・遠距離通學生友の會の「西の横綱三木市選出)」に會ひに行くといふのは何と遠いことか、嗚呼まことに遠いものだと痛感した。遠距離通學生友の會の「東の横綱(宇陀郡選出)」が言ふのだから間違ひない。
 歸宅は23時。天寧・まつ梨もよく頑張つた。遲くまですまぬ。父ちやんのご用事によくぞ付き合つてくれた。禮を言ひますぞ。