第95回 非因果的聯關の原理

 ウチの妻はニュータイプではないかと思ふことがある。
 僕が晝に外でカレーを食べると、彼女がウチで晩飯にカレーを作つてゐる。壽司を食ふと刺身を買つてゐる。フライドチキンの日には鳥の唐揚げと來る。
 勿論、毎日がさうなのではない。だが、結構な打率である。嫌がらせといふ話もあるんだが、想ひが相通じ合つてゐるといふ見方もできる。
 しかし、こんなレベルではない恐ろしい偶然…。 ― これを偶然と呼ぶのはゝばかられる。意圖を讀み取るべきなのか ― 十四年前の出來事を紹介したい。
 僕が仕事で丸龜に長期出張してゐた時だ。公衆電話で浪漫亭來舞氏(假名)と話してゐた。
 「こちらの商人宿はアダルトビデオが充實してをりまして、その、なんです、今、何したとこです、ハイ」
 「おほ、ワシもや。今、果てたところに君の電話だ。まあワシはレンタルで借りたんだがな」
 「僕もこの宿の置きビデオで氣に入つたのが一本あるんです。今日レンタルで借りはつたんは、どんなんですか?」
 「えーと、『乙女の…』。」
 「えつ、ちよつと待つて下さいよ。『乙女の』、…ま、まさか『ひねり腰』ぢやないですよね?」
 「え?待てよ『ひ、ね、り、ご…、し』や!」
 「『乙女の』!」
 「『ひねり腰』!」
 こんなことがあるだらうか。何千、何萬とあるアダルトビデオ。數百キロ離れた別の場所で、たま/\同じ一本をピックアップして、同じ映像を見ることにならうとは…。晩飯の一致どころの騷ぎではない。
 神の見えざる業を感じ、背筋に寒いものが走つた。
 神が我等に何を言ひたくあらせられ給ふのか、今もつて不明である。
 
【陣中日誌】

朝、白鬻。
晝、蒲鉾、卵燒き、ニンニクとソーセージとキャベツの炒めもの、飯一杯。
夜、魚類(ぶり・えび・さけ)燒き、大根サラダ、冷酒三合、飯二杯。