第94回 炎獄家騷動を省みる

 二〇〇二年の七月四日頃ではなかつたか。まだ當時、僕たちのフィールドであつた落大公式板に、炎獄家と稱する正體不明の者が突然に書込を始めた。獨自の世界觀を持ち、お笑ひに對する持論を展開した。また我らに大喜利のお題を出して、解け、解けと五月蠅かつた。少しくお相手した。しかしその世界觀が餘りに薄つぺらで目指すところが意味不明であつたので、矛盾をついたり、指摘したりすると逆切れした。
 せんど掲示板上を大荒らしゝよつたので注意すると謝つてきて、しばらくして消えた。不思議なもので消えると寂しいものである。何度か掲示板上で呼びかけたが出てこなかつた。
 二年ほど經つて(二〇〇四年頃か?)、再び公式上に出現したが、その頃には僕たちも公式を若い人たちに徐々にお讓りしてゐたので、放置されてゐる彼が痛々しかつたのを後で見て感じたことを覺えてゐる。
 さう/\、ちやうど夢通りが堂山町に移る頃だつた。一度、本當に彼と酌み交はしたいと願つたものだ。
 突然、炎獄家のことを書いたりしてどうしたんだと言はれさうだが、今日HDの中を整理してゐたら、當時彼の世界觀を把握して論じあおうと努力した痕跡が出てきたのだ。陣中日誌卷末付録で掲載しておく。
 マイミクとして毆り込んで來るやも知れぬ。後代のための資料である。各位ご保存のこと。
 
【陣中日誌】

朝、子供飯が我慢できず、獨自飯。札幌一番醤油味。
晝、生醤油うどん(大)を海遊館でこゆき一家と合同。
夜、榛原牛を燒き牛。慌てゝゐたので寫眞なし。實家からの掠奪物。榛原牛、早くも今年の食ひ納めか。
 
【卷末付録】

「炎獄家の世界觀」といふファイル名で二〇〇二年に作成したもの。
當時、彼の書込を子細に分析し圖解したものだ。
彼と正面から向き合はうとしてゐた僕の直向きさを感じる。
僕は、實は、彼のことが好きだつたんだと思ふ。