第80回 テレビ型ラジオ

 子供の頃である。ある日、突然にテレビが故障した。映像は映つてたが、音聲が出なくなつた。テレビジョン受信機が、動画專用受信機(サウンドボードなし)になつたと言へば判りよいか。
 わが親の教育方針であつたのか、否、單に家が貧しかつたのか…、親はテレビを修理しなかつた。僕たち兄弟はそのまゝ「音なしテレビ」を見續けた。
 一か月もすると、アナウンサーの脣が讀め出した。三か月ほどでニュースなどは脣を讀んで同時通譯ができるやうになつた。半年も過ぎた頃には、かなり複雜な内容のドラマでも家族で話し合つて理解することができるやうになつた。
 そして一年…。今考へるとその状態を一年も放置した親もひどいんだが、バラエティー番組やお笑ひ番組で笑ふことができる讀脣能力にまで成長したのであつた(漫画だけは脣がいゝ加減なんで筋を追ふだけで必死だつたが…)。
 もはやこのクラスに到逹すると、テレビに音聲はいらない。うるさいだけだ。そればかりではない。現実社会において、驛の反對側のホームのカップルが囁く内容が解るのだ。もう少しで七瀬みたいなエスパーになれるかと思つてゐた或るクリスマスの朝のことだ。何と家に新しいテレビが屆いたのだ。
 二弟が、新しいテレビの箱を見ながら、「兄ちやん、これ、音付きか?」と聞いてきたのを覺えてゐる。いゝ思ひ出だ。
 今日、だ。今朝、家のテレビが壞れた。音は出るんだが、畫面が映らないんだ。嵩高いラジオ状態だ。
 私の娘たちは、この繪なしテレビで一體何を學んでくれるのだらうか。どんなエスパーになるのか樂しみである。
 家訓に從ひ一年は放置したい。
 
【陣中日誌】

晝、廻轉壽司。
夜、自宅おでん、ハム。日本酒。