第26回 トランス

 休みの日は、ゆつくりと朝寢がしてみたくても、妻子がそれを許してくれない。叩き起こされると、妻は早くから起きて家事をして居るのだが、私に洗濯槽へゆんべの風呂の殘り湯を入れる作業をお言ひ付けになる。
 私は平素、極道の限りを盡くしてゐるので、休日は妻の愛の奴隸として働く。送水ポンプも安くであるらしいが、見場の大きい作業なので「男の仕事は男に任せておけ」などゝ宣つて大きめのバケツで力強く湯をかい出し洗濯機へ運ぶのだ。まことに男らしく四杯も入れると、妻が「よし、やめ〜つ」と。放免してくれる。
 誰かゞ僕の中にゐるやうだ。いつも一杯目では氣付かない。だが二杯目、ザーと洗濯槽に放水してゐると誰かゞ頭の中で「おーぃ、鯉くん、鯉く〜ん」と叫び出す。『道具屋』だと氣付く。
 負けじと自分でも言つてみる。
 「おーぃ、鯉くん、鯉く〜ん」
 少し樂しくなる。三杯目。うろ覺えだが枝雀師や來夢師を思ひ出してやる。タライへ「ポン」までやる。ちやんと裏聲でびつくりした顏もする。樂しくてグッと高い所に行ける。
 バケツ四杯目には『ボラが尾で立つて素麺食ふてる』を横目で鏡見ながらアホな顏してやる。自分で笑ふ。
 妻の體育の先生ばりの「よし、やめ〜つ」を聞いて我に歸る。この作業により晝飯は「素麺」に確定する。
 當日または翌日には、ボラ→(自分でよう料理せん)→(ボラみたいな)→タラ→たらこ→たらこスパの流れを突き進んでしまふ。ときどきこのルーチンにハマつてゐるメニューの週末があるはずだ。
 
【頂いた物】

朝飯 前日の味ご飯(冷)に熱い茶鬻(ナタ豆茶)をかけた物。
晝飯 市場で買つた「鷄腿燒き」家族で裂いて食つた。茶鬻と。
晩飯 亂坊式(たらこパスタ+きんぴらごぼう+大根サラダ)