「あつ!」
指の間をすり拔けた一口サイズのカニクリームコロッケは、一度作業臺の縁でバウンドして床へ落下して行つた。當日のバイト三人と親方の目はその抛物線に釘付けとなつた。
ペタ。
さほど美しくもない床に、哀れカニクリームコロッケは激突。四人は激突箇所を中心にしやがんで對應を檢討した。
外人辨當の注文。米國からむくつけき男逹がサーカス團を率ゐてやつてきた。ジークフリー○ アンド ○イ。イリュージョンショーだ。
二人の大男は虎を操り、象と戲れる。體は筋骨隆々、小麥の肌だ。僕が抱きすくめられたら輕く背骨を碎かれてしまひさうな強い男逹だ。怖い。その男逹の辨當を作つてゐたのだ。
確かにコロッケを落としたのは僕だ。責任は僕にある。僕は即座に親方に聞いた。
「十巣さん、豫備は?」
「ない」
「代替へ品は?」
「ない」
僕は途方に暮れた。多分親方と殘りのバイトは、コロッケ不足の下手人として僕をジークフリー○に突き出すに決まつてゐる。どうなるのだらうか。
ジークフリー○の滯在期間中における日本人妻的な扱ひを強いられるのか、はたまた座敷牢に閉ぢ込められて、そのまゝ彼の母國へ連れ去られるのか。
僕は親方に最善最高の案を献策した。
「何もかも五分前に戻りませう」
油を暖めコロッケに充分熱を通す。ちよつと焦がし氣味に。四人は何事もなかつたかのやうに作業を續けた。
「時間がない。配逹だ」
僕たちは象が疾走する、虎の檻の横をすり拔けて、樂屋に辨當を運び込んだ。
翌朝のスポーツ新聞の一面を見て驚いた。
『ジークフリー○休演!體調不良か?』
丸腰の大和魂が、素手で、強靱なゲルマン人をなぎ倒した瞬間だつた。二十年前、若い時代に參戰した世界大戰だ。
【お食事お品書き】
朝晝兼用 さうめん+かまぼこ
晩飯 妻外出の爲、亂坊式(味ご飯+もやしとアゲの炊いたん+大根サラダ)+罐チュウハイ2本