第17回 さぶイボと涙の季節

 10月も半ばを過ぎると秋祭りが近付いてくる。我らが敬愛する墨坂神社の秋期例大祭。地域では敬神の念を込めて氏子らが四臺の太鼓臺の大棒の下にこぞつて肩を入れ、街中を擔ひで練り歩く。團長の笛の合圖に合はせて目よりも高く捧げ上げ、全員で「指せ(サセ)」を連呼する。
 私たちは名譽ある「宮本太鼓臺」である。何と言つても「宮本宮入一番」なのである。嗚呼、さぶイボが立つ。重量は1屯超。80數年、代々で修理して擔ひできた。
 11月の2日宵宮、3日本宮。毎年役員が地域の家々を細かく囘つて自治會と協力し、擔ぎ手さんをお願ひして囘る。私は昨年で役員を引退し今年からは一擔ぎ手、ご隱居として驅け付ける(=だから毎年、千里寄席は行けないのだ) 。
 さて祭りの飯だが(また飯かよ)、宵宮の夕飯に親子丼が出る。實家では晩飯にごっつぉ。本宮晝飯には卷き壽司と稻荷壽司が出て、實家では晩飯にすき燒だ。
 そして道中呑む、とにかく呑む。日本酒だ。大量の日本酒だ。アテはスルメとチリメンジャコ。最高だ。お土産はゴク撒きで頂くお餠。
 そろ/\近郷近在の神社でも太鼓臺が出始める。どこの地域でも擔ぎ手不足は深刻な問題だ。メジャーな神社、延喜式クラスは大丈夫だらうと思ふ。素晴らしい太鼓臺なのに山間の過疎、若者減少に惱むお社が沢山ある。これは決して他人事ではない!
 だから私たち宮本太鼓臺の有志たちは行く。擔ぎ手減少に喘ぐ同志と共に活氣ある地域の祭りを取り戻すために!依頼あらば、すけに行く。
 地域コミュニティーのシンボル的存在たる「神社や祭禮」を私たちの世代で絶やしてなるものか。私たちは「大日本太鼓臺保存會」なのだ!

【戰鬪詳報】

朝飯 拔き
晝飯 「燒きそば定食(燒きそば大)」完食後風景
晩飯 「網燒き」某電力會社の人と會食。
   話の絲を辿つて行くと關大工學部から大學院へ行つた人とわかる。2つ上。
   ○○さん→先輩→兄貴へと變化。