第2回 大盛考

 凡そ食事の注文は、日常最小單位の商取引なだけでなく、其の注文者の體調の良否、生活態度までをも表はす指標であつて、延長線上には注文者の思想信條までをも示す重大行爲である。決して疎かにするべからず。
 余は飮食店に入ると、注文の吟味に精神を集中する。而して嚴かにお品書きの一行を指し示し上品に宣言するのだ。
 「大盛で」と。
 店の對應は樣々なり。腹立たしきはチェーン系店舗にある以下の物謂ひである。
 
 「ウチは、大盛やつてないんですよぉー。」
 
 あほな。金を拂はんといふのでない。相應の額は支拂ふのだ。何故大盛がでけぬか、其れは店のマニュアルに無いからである。其の本人にやる氣が無いからである。たゞ飯を多く盛れば良いのだ。それだけだ。おかずを増やせといふのではない。飯だ、米飯だ、ライスなのだ。つげばよい、盛ればよいのだ。
 「○○町食堂」の系列は社員教育が充分に行き屆いてゐる。丼ぶり鉢でお佛壇のお供ゑさながらに飯盛りを實現してくれる。あの店で余は數多く物は言はない。たゞかく言ふのみ。
 
 「大盛を。貴女の人生でこれまで盛つたことのない程に」
 
 或いはかく言ふ。
 
 「飯の山を見せてくれ。いや、飯の塔を見せてくれ」
 
 飯盛り孃はにつこり笑ひ、親の敵のやうに飯を盛る。値段は普通盛と同じ。いつも秋刀魚と味噌汁と飯で584圓だ。いゝことがあつた日は出汁卷き卵を頼む。週に二囘は行く。