第1232回 (仮名)中谷先輩のこと 1

 もうしわけないんだが、今日の日記、音読だけはやめてほしい。黙読でお願いしたいんだ、ちょっと聞かれるとまずいんだよ。

 考えてみてくれ。人類ってのは、口から栄養を摂取するよね。摂取は経口のみだ。これはいなかる人種、民族、国、男女、貧富貴賤を問わず皆同じだわな、絶対同じはずだ。

 もし食べ物のことを話していて「私、光合成を採用していまーす」とか「ボクは空気から窒素を取り込んで有機質を作ってるんですっ!」なんていう、レンゲ草みたいなことをいう人がいたら、一度お医者様にお連れしたほうがいい。
 そう言う人はほとんど、大量に精神を安定させるお薬を処方されるだろう。
 
 でもね、中には病院に行ったきりパッタリと帰ってこなくなる人がいるかも知れない。跡形もなく消えてしまう人がいるかも知れない。
 
 言っておくよ、その人は「ホンモノ」なんだ。その人は、光合成か窒素同化をホントにしていると考えていい。
 
 「ホンモノ」の人の人生は大変だ。栄養摂取に光合成しているからといって一躍、世界のヒーローやヒロインになれるわけじゃない。彼(女)は、僕らと同種じゃないんだ。2つに割ったら草の仲間さ。だって、光合成してるんだから!
 世界中から「異種」として扱われ、人類と対峙することになるね。まさに一対多、個対多の関係で人類と激突するよ。少なくとも「亜種」として好奇な目で見られることは間違いないことは君にもわかるだろ。
 民衆レベルの白眼ばかりじゃないさ。科学界、殊に医学界の面々は、新種発見の功績をわが物にせんとし、彼(女)をおのが手中に置こうと躍起となるだろう。間違いない。
 捕獲、軟禁まがいの憂き目に会うは必定だ。果ては様々な被験体として切り刻まれ、身体の相当な部位はガラス瓶の中でホルマリンに浮かぶことになっちゃう。『ドグラマグラ』のワンシーンみたくね。
 それだけじゃない。他の星系に向けての長距離恒星間宇宙旅行の実現や、兵糧の要らない戦闘員を研究している某国政府のエージェントらにとって、「ホンモノ」である彼(女)の細胞組織は垂涎の的となるよね。食い物が要らないんだもの、そりゃいかなる手を使ってでも細胞を入手しようとするだろう。もはや命のあるなしなど関係ないだろね。
 幸いにも(不幸にも、とも言える)、それを奪い入手できた機関の研究アシスタントらは、そのコンピテントセルをバカみたいに大量に作らされ、彼(女)のDNAのプラスミドをわんさか増殖して、その束を箸でヒッ掴んでヤマキめんつゆで舌鼓打てるほどに作り続けさせられるだろう、休みなく。
 
 しかし、まったくおかしな話さ。彼(女)の遺伝子情報は、莫大量世界に増殖するのに、その時「ホンモノ」の彼(女)の生命は、既にない可能性だってある。これは悲しいし、怖い話さ。
 
 こんな運命が容易に予測できるのに、前述の「私、光合成を採用していまーす」なんていう宣言を「ホンモノ」の人がするはずがないよね。
 「ホンモノ」の人はどうするだろう?…そうだよ、みんなも気づいてる通り、彼(女)は、その現実を隠し続ける人生を選択するだろう。ここまでは僕にもわかる。筒井の『家族八景』でテレパス火田七瀬が選択した生き方と同じだ、読んだことあるよね。そう、バレないように隠して生きようとする。だって「ホンモノ」と表明した途端に、人生は終わっちゃうからだ。
 それだけじゃない。「ホンモノ」の彼(女)は、涙ぐましい努力をするだろう。一般人(即ち「人類」)に混じって暮らすなら、一緒に食事しないといけないんだ。経口食物を摂取する姿を「わざと」見せながら生活する人生を選ぶだろう。
 そう、ハイブリッドだ。光合成で充分なのに、不本意ながら経口摂取する姿を見せるように振る舞うだろう。でないと彼(女)の人生は大変なことになるんだから!ここまでわかるよね?
 もちろん、お昼どきには職場の同僚たちと弁当なんかも食べるだろう、たとえその必要がなくても!
 でもね、それは極度に少量だろうよ、君や僕の想像を絶するほどに、ね。
 
 なぜ、こんなことを書くかって?ここからは絶対に音読禁止だよ。
 
 今、僕が昼勤で就労するジョゼの事務所には、「ホンモノ」がいるんだ。女性だ。僕より少し年上の姉さんだ。光合成してるとにらんでんだ。ハイブリッドを装っているけどね。
 あ、これは他所で言っちゃダメだよ!彼女に迷惑かかるから。機会あってこれを読む君と僕だけの秘密にしてくれ。
 
 彼女の昼の弁当を観察してる。毎日見てるんだ。
 彼女の弁当の大きさは、ウチの小2のまつ梨の弁当箱より小さい。あり得ないくらい小さいんだ。2段組弁当箱だ。
 上の段はオカズ。そこにはうっすらとオカズが数品目。まるで江戸時代の商家の丁稚さんのオカズの量、とでも言えば、ここの愛読者にはわかる人も多いだろう。そりゃ極めて少ないんだ。続く