第1211回 住吉区社協いきいきサロン(住吉区コミュニティー会館)

あいらし しく・し・しき・しけれ[愛](形、二)かはゆらし。− 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂発行(昭和12年1月25日新訂第360版)より引用
 
 表現舎として初見のネットワーク委員の奥様方から、あたかも近所の『愛らしき』兄ちゃんとお喋りを楽しんでいるかのような扱いを受けるのは、真に光栄なことだ。そのために表現舎は在る。
 普段、舞台・客席、着替えの準備ができると、開演のお時間まで玄関口でお一人お一人を迎賓することを常としている。誰に教えてもろうたわけでもない。貴重な皆さんの人生の一瞬を曲がりなりにもお借り受けする返礼である。無名の凡夫が近づくための時間が半減するというメリットもある。
 その神聖なひとときを、前述くだんの奥様方は、僕の横にお立ちになり、様々なこと ― この会館が建った経緯、会館設計上の問題点、政治家や行政と住民の関係など ― について余すところなくご所見やご感想をお述べ下さる。
 むろんジョゼのことなど一言も話していない。エリア外であり、政治的な色彩は表現舎には禁物、会場入りも胸の党のバッヂは外しているほどだ。が、内容は、ジョゼで聞く話のようだ。不思議な感じがする。
 でもよく考えてみれば、何の不思議もない。ネットワークでご活躍中の皆様というのは、地域で、社協、民生、町会女性部などの活動中心でいらっしゃり、地区は違うが、言わばジョゼッペの役員さんみたいな人ばかり。自然、内容も似かよるのかも知れん。地域の連帯や共助のためにご尽力される皆様は、気高く、美しい。
 今日からー、蛇含草65分。あと茶話会。主客一体の妙に感謝。高座がおそろしく高かった。ビールケース縦2段組に合板だった。町会長苦心の作とのこと。感謝をもって記録する。
 
  終演、帰る。交際の記録もまとめてここに置く。この日、まつ梨をバレイにつれていく予定があった。すると酔花師からメール来。曰く「寺島に行くから供せい」との仰せ。千太師も来られるとの由。
 折角のお声掛けに行かぬわけにはいかぬ。まつ梨お迎えまで空白がジャスト1時間ある。寺島に走る。
 再会し乾杯。近況報告為し、サバ缶で芋ロック4杯を急速に流し込み、お話を伺い、喋るだけ喋って、早々にまつ梨を迎えに行く。両先輩、ごっつあんでした。
 
  これも書いておこう。何日だったか、あれは確か台風の日だった、千林で一席喋った日ではなかったか(ここで千林の110番寄席の記録を書いてないことに気づいた)。
 ところで、関西大学落語大学OB会「喜六会」の会長は、重要な業務が沢山おありになる。その中でも特筆すべきなのが「台風被害の監視」であるとは知らなかった。代々の落大会長は、僕らの知らないところで、かかる非常事態における国民の生命・身体・財産の安全を図るべく奮闘してきたのだろう。それを思い知らされた一日であった。
 台風の到来は、退屈な日常の連続の中で、時たま訪れる心を震わせる一大事であって、小学生のころ家族でろうそくのもとに食べたおにぎりや、電線が風切る音、歩行者の傘がマッタケになり、立て看板などがスッ飛んでいく光景などの記憶とともに、非常事態の象徴的存在である。
 会長夫妻は、この日、台風が来るということで、休日でもあり、朝から夫婦でビールをあけて台風情報に見入っておられた。恐らくは、いつでも河川氾濫時の土嚢積みやなんかに出かけられるように、防災服と防災頭巾、ゲートルに長靴で身を包み、自宅の居間で飲んで出動に備えておられたことだろう。
 ところが、四国・紀州・大和では甚大な被害(「人が死んでんねんで!」)を引き起こしながらも、大阪は警報発令中にもかかわらず強風ながら曇天。一向に暴風大雨な状態にならぬ(ありがたい事ではないか)。
 これに業を煮やした会長夫妻は、南から北上する台風を出撃して迎え撃たんと、自宅である喜六会測候所を出動。南下し市内福島あたりの居酒屋に仮陣された(なんでそうなるのよ!)。
 ここで事態の掌握と前例と善後策検討のため、先代会長の十巣オジキを招聘。三人で一旦ボロ布のようにならはった(いや、だから、なんで十巣さんも?)。
 しかし、幾数十合にわたり国家安穏祈願の杯を交わしても、暴風豪雨は微塵も到来せず、大いに肩すかしをお食らいになった。そこで、お三人は一層南下し、台風に近づかんとして(この習性はなんだ?)、一気に天下茶屋界隈にまで南進、駅前立飲み屋を接収。ボロ布がボロ雑巾になるまで歩みを進められていた。ドロ酔いっちゅうやつだ。
 僕は、舞台がはねて、報告を兼ね連絡を入れる。その電話の最後、「れんがさひゃへふぉい!(訳:天下茶屋へ来い)」という会長の雄たけびを聞いたとき、それはあたかも会長新ネタの『らくだ』か、『独り酒盛』のお稽古中なのかと見紛うたくらい、そりゃもう完全に出来上がっておられた。
 会長命令は逆らい難し。否、もとより帰って細々と打ち上げ反省会を挙行しようと涙ぐんでいた僕は、走る地下鉄の中を駆け抜け、運転席の運転手にシルバーよろしく鞭を入れ、車掌の脇腹に拍車を蹴り入れ、いざ天下茶屋へと向かうた。
 着く。見ると、僕を待つ三人が改札の向こうで床を叩いて笑い転げておられる。まあ、まあまあと再びに安い酒場に丁重ご案内し乾杯。僕の空腹の五臓に酒浸み渡り、おおよそ8分芋ロック3杯で三人さんに追いつく。世界陸上など見て、ああでもない、こうでもない言うて様々語る。
 帰りに駅まで歩くとき、パラパラと強い雨が降り、濡れたお三人さんはここでやっとご満足してお帰りになられた。
 
 アホや。アホな50代と60代だ。 僕らの、進むべき道が、ここに、ある。
 
 駅で別れ、天下茶屋から歩いて15分、帰宅する。ありがとうございました。