第1172回 ちょうのうりょく

 大腸検査を受けたことは既報の通りだが、結果を聞きに行った。2年ほど前に見て下さった先生とは違う方なんだけれども、またもや女性だ。美しい方である。感じ的にはウチの事務所の元・N谷先輩的が放つ巫女然な風情を、もう少々気をきつくして声をハスキーにした感じといえば(一部の読者には)わかるか。
 彼女は「異常は何もない」と言った。僕は即座に言う、「いや、そんなはずはない」と。考えても見てほしい。講演・公演の日は、必ず飲む。昼勤のあとも飲む。僕に休日はない。アルコールを分解するフィルターとしては、かなりの激務を果たしているはずだ。
 皆さんもご承知のように、酒を分解して小便に流すという作業を化学的に行うと、巨大な化学プラント工場が要るそうである。それだけのことを人体は酵素などを用いて当たり前に行っているのだ。何かの本で読んだ。
 すばらしい腸の能力、腸能力である。僕は、量の大小はあれ、ほぼ連日にわたり、この巨大プラントを無事故0災で運用している名工場長だ。大したものだ。
 しかし、人生はもっと短いものだと踏んでいたのに、肩すかしを食った気がしている。今しばらくお付き合いを願いたい。
 
 この腸の能力もさることながら、以前から何度も書くように、僕は、最近会ってないなあと思うと、その人に会えるという、(自分で言うのもおかしい話だが)素晴らしい能力を持っている。これは超能力だ。昔は仮説であったが、今は定説となっている。
 
 例示する。ご用事で訪れた駒川商店街の、ある商店会長さんの店を出たときだ。ばったり男性の通行人と鉢合わせになった。
 「あ、すいません」と言いながらお顔を見ると、その方は、狂角さんであった。
 「おお、乱坊、何してんねん」
 「はい、狂角さんをここでお待ちしておりました」
 待ち合わせしてもこうはいかん。2秒ずれていたら絶対会えない。
 実際、反射的に「ここでお待ちしておりました」、というのが癖になるくらい、いろんな人にバッタバッタと会うのだ。
 
 風庵寄席の帰り、あれは集団芸であったが、西名阪の大内サービスエリアで、メロンさんに会ったときもそうだ。
 いろんなサービスエリアで買い食いするのが楽しくて(ノーギャラで豪遊だ!)、立ち寄り、てんぷらの揚げたてを食っていた。そこにメロンさんは居た。
 「ここでお待ちしておりました」
 あの時も言ったと思う。
 家族でタケノコ狩りに行くところだ、とおっしゃった。一緒に行きたい、と言ったが、えらく固辞された。ありゃきっと、ご先祖の埋蔵金を掘りに行くか、情婦の死体を埋めに行くか、のどちらかだったのだろう。人に言えない秘密など誰でも二つや三つはあるものだ。
 そのほかにも沢山の例示が日誌にはあるはずだ。らいむさんとあったり、いろんな先輩方に会ったりしてる。
 
 先日、まつ梨を、岸里の図書館にお迎えに行ってのその帰りだった。笑鬼さんと電話で話していると、目の前を黒いおっさんが通り過ぎた。
 「あ!」
 黒いおっさんもこっちを向いて言っている。
 「あ!」
 僕は笑鬼さんに
 「知ってる黒いおっさんが通りましたから、ここで失礼します」と言って切る。
 電話を切って、僕はその黒いおっさんとガッチリ握手した。
 「すまんかった」と彼は言った。
 僕は、「会いたかった」と彼に言った。
 本当に彼に会いたかったのだ。地獄家おっさん兄だ。
 
 人生に無駄なことはない。不必要に見えることにも実は意味がある。それを感受する幼子の如き繊細をもっていれば、世界はすでにパラダイスである。
 
 もう、2年になるだろうか。表現舎となり仕事がなく、食うに困って警備会社で夜勤警備員をしていた時だ。その日は、会社で法定の従事者定期講習を受けていた。そこに彼はいた。昔の日誌を掘り返せば出てくるはずだ。バッタリ会った。
 僕はうれしくて、ともに杯を交わし、ともに板に載ることを勧めた。池田の引札寄席に出番を設け、共演を楽しみにしていた。
 しかし彼は、当日突然、穴を開けた。どんな理由があったかは知らん。連絡がなかった。今も当時も僕は未だレベルの低い求道者であるから、瞬間、烈火のごとく激怒した。瞬時に激怒できるのは昔の仕事で身についた、古い人生の名残だ。
 しかし、穴を埋めねばならぬ。とっさに僕らは「大喜利をやろう!」とその日楽屋に居たお囃子も含めた全員が舞台に立った。これが、現在まで続く、引札寄席での大喜利コーナーの発端である。大喜利コーナーでのおしゃべりは、現在の僕を象る重要経験であり、神聖な思い出の一つである。
 毎月の大喜利が始まり、僕は激怒が怒りに、怒りがわだかまりに、わだかまりが平常を経て、感謝になるのを見た。大喜利が一番楽しい時間になったからだ。
 会いたいなあ、と思っていた。すると、会えた。
 飲みに行きたい。また同板を勧めてみよう。今度の穴埋めには、またどんな新しい何かを見いだすのか楽しみである。