小学生などは親の教育でどうにでもなる。今が一番大切な時期であると信じているから、取り組みもがっぷり四つに組んで、教えておけることは寸暇を惜しまず教えている。学校にだけ任せている場合ではない。家庭教育も大切である。
天寧が読んでいる本から目を挙げて僕に質問してきた。
「父さん、『馬の耳に念仏』ってどういう意味?」
「おお、やっと君にそれを話す日が来たか、感慨深いな。これは中国の話だ」
「あの中国?」
「おっと、今の中国の話ではないぞ。昔だ」
「100年前?」
「君は昔というとなんでも100年前だな。もっと昔だ、ずーっとずーっと昔だ」
「ちょんまげの時代?」
「おーこれこれ、ちょんまげは本邦の美風だ。もっと前。満蒙はおろか、唐漢秦周殷夏を超えて、尭舜より前の神農の時代だ」
「何言ってるかわからないけど、だいぶ昔ってことね」
「まあ、そうだ。その時代、ある馬が死んだ。この馬は大層いい馬で、家族、親せき、縁者、ご近所の馬、お友達なんかの馬がとても悲しんだ。そこで、その馬の盛大なお葬式が行われた」
「お葬式!馬の?」
「ああ、そうだ。たくさんの馬たちが参列したな。そこに馬のお坊さんが」
「え?」
「馬のお坊さんが」
「あのー、父さん、馬にお坊さんがいるの?」
「ああ、まだ人間がいない時代だからな」
「あ、なるほど」
「参列馬の前に立って、両手を合わせてありがたいお経を」
「ふふふ、こけるわね」
「何が?」
「立った馬が前足を合わせるとこけるじゃない」
「そこらが小学生の未熟なところだ。馬は昔、後ろ足で立って二本足で歩いていた」
「ええー?」
「そのころは後ろの二本足で歩いていた。人間が乗るようになってからだ、オンブでは走りにくいと四つ這いになったのは」
「あら、そうだったの」
「そうだ。で、そのお葬式だ。泣き崩れるその馬の仔馬たち、また奥さん馬の悲しみ様ったらなかったな」
「そりゃ悲しいわね」
「そうだ、大層悲しんだな。そこで坊さん馬のありがたい念仏が一段終わって、葬儀社の馬が…。おや、何か言いたげだな」
「ええ。でも、もう一々、馬のお仕事には驚かないわ」
「賢明な姿勢だ。父さんも先を急ぎたい。行数を費やしすぎた」
「で?」
「で、葬儀社の馬が、喪主である未亡馬に『奥さん、念仏終わりましたんでお焼香を』と勧めた。でも悲嘆に暮れて、念仏が終わったことにも、焼香を勧められたことにも気づかない。ここらをもって、悲しいときにはありがたいお念仏も聞こえないことを『馬の耳に念仏』というようになったんだ」
「へぇー、でも、この本に書いてあることと違うわよ」
「違うか。では、本当の意味を教えてやろう」
「今のは嘘ってことね」
「嘘じゃない。そういう解釈もあるってことだ」
「じゃあ本当は何なの?」
「今の日本では『馬の耳に念仏』というが、本当はそうやなかった。本当は、馬の暗殺の話だ」
「暗殺!」
「暗殺などというものは、誰がやったか解らんようにせにゃいかん、そこでだ、馬の暗殺者は考えたな」
「どういうふうに?」
「馬の耳に小型の時限装置付の強力ナパーム弾を仕掛ける、というものだ」
「どうなるの?」
「時間が来ると、耳から燃え上がって、焼き馬になってしんでしまうな。」
「怖いわね」
「誰がやったか解らん、馬は暗殺されてしまう。この方法は流行ったな。これを昔は『馬の耳に可燃物』と言うたな。この可燃物が発音の便のために音便して、『馬の耳に念仏』となった。すなわち、誰がやったか解らない、ということを言うなあ」
「ふぅーん、そういうことなのか」
「ああ、そういうことだ」
考え方をマスターしてくれればそれでいいと思っている。