第1125回 花の家かぼす卒業公演「高津の富」出演

 「なぜ、日記を書くのですか」
 ご愛読の方から問われたことがある。僕は答えた。
 「日々感じたことを忘れるからです。後の自分に忘れさせないように記録しています」
 別に紙の日記帳に鉛筆を舐め舐め書いてもいいんだが、日記帳はなくす可能性がある。ブログであれば死後も消え去ることはない。僕の末裔が見てそのヨスガとすることもできる。
 この日感じた雑感を記しおく。のちの自分が忘れぬために。
 
 40名ほどか、持ち時間40分。90パーセントが落研。この日の番組を記録する。
 
 どくさいスイッチ企画「コント」
 関大亭ばいぱす君「ひよこ談義」
 隣乃玄張君「源太と兄貴」
 浪漫亭不良雲君「へっつい盗人」
 香車亭龍鶴君「涙をこらえてカラオケを」
 柱祭蝶兄「骨釣り」
 
 仲入り
 
 銀杏亭駒粘君「つる」
 表現舎乱坊「高津の富」
 
 大喜利
 
 花の家かぼす君「遊山船」

 以上が番組である。長い。長すぎる。落語7題。コント漫談を入れて2時から4時間もやる長丁場だ。
 
 かぼすから指しネタで出演の依頼が来たときは気軽に受けた。しかし演者を記した進行表のメールを見て焦りだした。各界各大学の名人上手が名を連ねている。なぜ、ここに、僕なんだ!どうして「富」なんだ!と思ったが、この日に富をすることにも意味があるのだろうと恥をかきに行く。
 
 所感を書いておく。ウォーリー君の喋りは軽妙かつ明晰で語彙豊富。回転早く細かく感情を切り替え繰り出す言葉は実に面白い。あんなことは僕にはできない。
 同門関大亭ばいぱす君はもっと愚鈍な喋りをする輩と思っていたが、軽く、独特の雰囲気を持つ。内容は今少々の練りがいるが、あの世界観は嫌いじゃない。
 玄張君は、僕と出るとき、いつも笑いの常勝将軍である。舞台に出た瞬間から完全に自分のものにする。この日も可笑しげかつテンポよく話を推し進め、しっかりと玄張君色に染め上げた。
 不良雲君は実に腕を上げたと思う。声量・テンポ・感情・構成において昔の君とは格段に違うのを感じた。君のここ数年の経験が無駄なものではなく血肉となっているのを感じた。僕の近隣年次で繁昌亭に出た経験を持つ民間人は君だけだ。色々なことを思い出して涙ぐみ見た。
 龍鶴君の舞台は、張らず、気張らず、激高しない、実に淡々としたものでありながら、しっかりとお客様をグリップして進む。他流試合の意義を心底感じる名演であった。
 祭蝶兄はおそらく僕より歳は下であろうか。しかしご人格、舞台ともに兄と慕うに相応しい安定感・安心感を見せる。この人は上手いや。脱帽どころではない、ココロの剃髪をして全編を見る。
 駒粘君は頭がいい。「つる」も解釈はさほど変わっていないが、全編に彼の愉快な仕掛けが盛り込まれており、舞台の袖で楽しませてもらった。人間が面白いのだろう。
 かぼす君はいつもながらに人物は薄い。が、妙に作り過ぎぬゆえに女の子特有の落語との違和感がないのも魅力となっている。テンポの概念があまりないが、自分というものを表現する一形態として落語と出会ったことを喜ぶべき男のひとりであろう。僕がそうであるように。
 
 さて、僕は前日であったか、OB会長に本会出演のご報告を申し上げたとき「ウチの現役も多いだろうから、感情を重んじる落大の有り得べきを晒してこい」との厳命を受けた。
 演者である彼ら新進気鋭の名人上手らの中で僕がやれることなどたかが知れている。圓九君、一福君も下座に居てくれている。落大で教わった通りにやろうと。計画を立てた。
 
 高津神社に着くまでは、かつて先輩方に口移しされた通りにやる。
 龍の男(僕は彼を「龍男さん」と呼んでいるが)の下りは、僕である。ここは現役の時代の練習で出しすぎたり、萎縮したりで不安定であったところだが、龍男さんと僕との同化を図ろう。ここは人物を作らない。僕だ。
 
 「ワタイね、一文も値切らんとこのオナゴ、身請けしたりまんねん」
 
 本当なら自分のカネで身請けしてやりたい。でもできない。今の自分には到底できない。一生懸命働いて貯まった金で新町会いに行って、それ以外の日はボソボソと毎日うどん食うて寝てるんだ。ここは一つ富籤の一つも当てて人生を大転換させたい。あの子。自分が好いて、自分を好いてくれているあのオナゴを大いに喜ばせてやりたいじゃないか。いつか、いつかと言いながら長らく何も変わらなかったこの人生で、人参や大根を買うんじゃない。「一文も値切らんと」かっこ良く「身請けしたり」たいじゃないか。喜ばせてあげたい。だから必死に当籤を夢見て、世話方の一挙一動を最前列で目を見開いて待ち構えているのだ。この一行に龍男さんの真髄は言い表わされている。
 
 ここで泣く。
 
 僕はこれまで龍男さんを話のピークに持っていって、後段の空っ穴のおやっさんの当籤シーンは、間、目線、感情、回数、型の表現のみに終始していた。教わった通りに、否、かつてを復旧させることに必死であった。
 
 「ああ、当たった」
 
 圓九君はかつて僕に言った。
 「白鶴杯での『ああ、当たった』ではサブイボが立ちました」と。
 これまで何度か彼の前で富をかけているが、ついぞそのようなレポートは聞いていない。
 
 この日のそこは、千里家笑太郎師に最大限の感謝を申し述べたい。2006年であったか、古今東西落大寄席の中トリで僕が「富」をかけ、師が「莨の火」をおかけになられたときの打ち上げだ。
 「乱坊、今は君が若いから当たった第一発目の喜びを、声張って表現できているが、年行ったときにそんな表現はできなくなる。そもそも、富に当たったときの喜びとは、そんなに声が出るものだろうか。今後考えていきなさい」と。
 その後、あの人は杯をやったり取ったりしながら、僕に声を絞って「ああ、当たった」の下りを10遍ほどやって下さった。
 
 考えて見ればそうだ。小豆か米の相場で全てをすって、スッテンテンの空っ穴になってしまったこのオヤッさんは、如何にそこそこの人物であっても、無け無しの一分まで取られてしまい財布の中に一文も入ってない状態であることの不安たるやないだろう。そりゃ、何とかなるとは思ってる。でもこの日、大阪の盛り場をウロウロしていても、忘れるな、「彼は昼メシを食ってない」のだ。金がなくて昼メシが食えない淋しさたるや如何にそこそこの人でも情けないものがあろう。僕も何度もそんな思いをしている。
 壮年ではない。晩年に無一文になった彼が、当たるわけないと思っていた富籤。これに当たったとき、口を衝いて出るのは腹の底から搾り出したような呻きに近い「ああ、当たった」であるはずだ。その後に喜びが現れるのであって、喜びで少々人物が崩れちまっても構わない。終わってしまうかもしれないと思った晩年に、起死回生の一発を放てたのだ。崩れた人生を立て直せるのだ。人物が崩れるくらい屁でもない(書きながら僕がやってるのは最早や落語ではないことを知る)。

 当たって、また泣く。高津の富で泣いているのは、恐らく日本で6人ぐらいしか居ないと思う。アホだ。
 
 宿屋の主の当籤シーンは、前々回(前回はおたなでの失速「高津の富」であった)の第三回砂九感謝祭での「当たり番号は素晴らし番号、自分の番号はダメダメ番号」をもう少しデフォルメしてやってみた。自分で笑った。
 
 全体的にネタ繰り不足もあり、ミスも数箇所あった。次に富をするのは4・23の伊賀の風庵での関大落語会である。微速前進したい。
 
 こんなことをベンベンと書いている場合じゃない。次は3月の「打ち飼い盗人」復刻だ。卒業後一回もやってないので扱いは新ネタだ。時間がない。何かいつも時間がないと言ってる気がする。
 
 最後に言っておく。カボス君、素晴らしい機会を与えてくれてありがとう。ま、これからもどうせ沢山会うんだろうけどな。