第1086回 堺福音教会アルパ 奉納演舞 「今日から ― 」

 全十回のアルパが先先週終わった。その打ち上げだ。請われ喋る。
 
 振り返ってみる。思い起こせばアルパも3シーズン目だ。初めて来たころは酷い生活をしていた。昼も夜もなく働いていた。それでも生活が全然おっつかなかった。
 あのころを、昔から一緒にいた人たちは僕を、落ちている、と思ったことだろう。これには僕の親父も含んでいる。心配しただろうし、今も心配してくれている。当然、妻も含んでいる。気が狂ったと思ったろう。
 経済的には落ちた。が、志を持った途端、周囲の人をして機会を僕に与えられる不思議を見た。自分に何ができるかではなく、どんなものになりたいのかを「表現舎」という一語に託して宣言した途端、らいむ師、豊能大姉からのご協力を得、また酔花さんから奥様を通じ西成区社協との出会いを得た。この二系統が原初である。
 ここで僕との出会いをもった人たちが次々に門戸を開いて機会を与えて下さった。
 主客の一体、時空の共有は、この当時、眼前に広がるお客様の状態を見て、得も言われぬ感じる妙を何とか言葉にしようとして、理想とする憧れを抽出した謂である。これでも全てを言い表してるとは言えない。
 昔はお客様と自分は対峙する関係にあった。向うとこちらは対立する極であった。今は対極にはないのだということを理解できるようになった。まだ途上だが。
 ここで僕を知らぬ読者のために言っておく。僕は上手くない。詳しくは言わぬが表現舎として自分でも想像を絶するほどの身体的なハンディキャップもある。生活に追われ胸を張れるほどの稽古ができていなのも現状だ。
 が、無才の凡夫に機会は与えられ、妙の存在を体感してきた。これは自分一人の力でないと確信しえいる。実に神聖な時間である。もっともっとその時間を味わいたくて今も舞台にいる。
 そんな時であった。最高の配材であるクラリネットのおじさんと出会い、今もこうしてアルパにいる。ここも居心地がよい。そろそろ自分のけじめを付ける時が来ている。わかっている。
 そればかりではない。もう夜勤は堪忍してほしいと思っていたら、主席、次席、三席から、こちらが何も言わぬのに「ここで頑張ってみたらどうか」とお声がけを頂いた。表現舎としての諸活動は出るが、あと残された時間は、人生で一番苦しい時代に導きをもって機会を与えてくれた彼らに最大限恩返ししたい。これはCHUHAI君を発端として3年前に始まった人間関係である。なぜか馬が合い今もここにもいる。
 休みなどはいらない。考えてみれば、僕の神聖時間は最大の憩いであることに気づく。また夜が寝られる、これがいい。
 導きは耳を澄ませば様々な人々を通じてここかしこにもたらされ、今日も表現舎、生きて生かされいることを感じ、舞台だけではなく生活の隅々までに現れる妙に衷心より感謝し奉る。