第1083回 西成区「陽だまり2」 クリスマス会 出演

 17日金曜日。ほぼ昼間、国事奔走。早上がり。
 火曜日に行ったサポーティブハウス「陽だまり」の2号館だ。
 前述の聖女、宮路女史からは、ここは大変状態が厳しい旨説明を受けていた。路上生活からの脱出を果たし、住みなれた地域でご支援を受けて新たな歩みを開始した皆さんだ。
 16時30分、僕の時間が来た。「笑う練習」18分。
 やってみた。実際、非常に厳しく、通常繰り出すパターンが全てスッカーンである。オール空振りだ。だが焦りはしない。前に来て大声で彼らに何事かをお伝えしようと精一杯語り続けた男が居たという思い出を、いや、彼らが「陽だまり」で仲間やスタッフとクリスマス会を過ごした記憶に残像として僕が一枚残っていればそれでよい。
 雰囲気を楽しんで頂いていたとは、舞台後の女史の言であったが、反省点もある。ここにおいてはルビを打ってない紙は出さない。話で進めるパターンじゃなくて、音や形など視聴覚に直訴する形態を多用するなど、乱坊の未だ見ぬ領域への進出を促される会となった。ありがとう。
 この場に来ておられたキーボードとトランペット奏者の吉川先生は齢80を超えられているが、見事なご演奏にみんなで華やかに盛り上がった。
 スタッフの皆様のゲームも一参加者として楽しませてもらった。
 終わり、着替え、宮路女史と親しく語らうお時間を頂く。旅館の娘であった彼女は、泊まっていたお客さんが数日後には路上で生活することに耐えられず、10年前にこの業に転身したという。西成を愛し、路上生活者の支援を改善しようと彼女の夫は政界をめざしたが、道半ばにして他界した、と伺った。
 日常生活支援の大半(利用者全員の弁当発注、飲み薬の時間管理など)は、大量のスタッフを用いてすべて無料サービスで行っているという。事業として合うわけがない。
 彼女と知り合うことになったのも導きである。僕にできることは僅かであるが、憲法25条の実現を目指して、だれに押し付けられることもなく自発で行う彼女との協同を図り続けられるよう、僕も喋っていきたい。