第1035回 まつ梨の運動会参加

 
 日曜日。まつりの運動会を観戦す。
 
 天寧は運動会がさほど好きではないらしい。まつ梨はすごく楽しみにしていた。
 運動会が好きでない人の気持ちはわからないでもない。幼少のころ、ひ弱で病弱であった僕は、得意でないものや不得手なもので、断りもなくいきなり序列階層を付けられることがたまらなく嫌だった。
 子供というのは、いらんこと考えんと、ただ朗らかに、徒らに走っていればよいってなもんなんだろうけど、あのころはまだ子供っぽくて(当たり前だ、小学生だ)、そんなことに引っ掛かって、随分と口惜しい思いをしていたのを覚えている。残酷にさえ思ったものだ。
 漠然としたジャンルわけに「運動」と「それ以外のもの」があるとすれば、初等教育の世界は、「運動」こそが英雄となる必要不可欠、絶対的条件であって、その意味で僕はまったく「残念な奴」であり、「それ以外のもの」にもさしたる才能を有せぬなかで、弁当をさげて両親が見に来てくれることも、たまらなく嫌だった。
 枝雀師匠の枕に運動会の徒競争の話があるが、あの話を聞くたびにあのころ感じたものが甦る。遥か昔に読んだ小林よしのり氏の著作の中にも、運動会の前日、家族の前で運動会を楽しみにしているかのごときフリをして空元気を出す描写があったが、言わんとするところもわかる気がする。
 小学校時代、運動会を楽しんだという記憶がない。中高に至り、「それ以外のもの」が実は膨大に範囲が広く、「運動」は数百万の有り様の一であると気づいてからは、運動会を楽しめるようになった。
 今となっては、人の生き道は千差万別で、(惨敗や不幸をも含む)すべてに理由と必要性、そしてそれを体験することにより気づく何かがあるのだと思い至っている。あれがあったから今があるのだ。
 
 11時ころからポツリポツリと雨が降り出した。時間短縮のため、予定されていた「パン食い競争」が中止になるというアナウンスがあった。
 思わず、妻に、
 「パンはどうなんねん!パンは!砂糖付き揚げパンやったら、余らしたりしたらワシ承知せんでぇ!」
とボリューム6/10くらいで放つと、半径3メートルのご父兄たちが、
 
 「そらそや!パンはどうなんねん!」
 「ホントねえ。パンの雨対策は大丈夫なのかしら?」
 「揚げパンじゃなくて、コッペパンでは?」
 「21世紀にコッペパンはないやろう」
 「ほな、やっぱり揚げパンか?」
 「パン食い競争より、時間ないから、パンの大食い競争にしたらどや!ワシが出たるで!」
 
などと口々におらび出す。ちょっと騒ぎが予想を上回り大きくなったので、トリガだけ引いた満足感を味わって、僕はそっとその場を離れる。あとは勝手にやってくれ。
 
 榛原からおばあちゃんが見に来てくれていた。弁当の時間となった。家族とばあさんで妻お手製の弁当をつまむ。雨で体育館が開放され、そこにところ狭しと児童を中心に家族連れが弁当を広げるさまは、あたかも緊急災害時の臨時避難所の様相であった。
 僕は周辺のご家族の弁当を仔細に調査したが、お握り、卵焼き、唐揚げ、ウインナー、サラダなど、概ね打ち合わせでもしたかのようなヴァリエーションのなさに安堵する。カセットコンロを持参して、鳥鍋やチーズフォンヂュなどを展開する王侯貴族ばりな家系は居ないことを確認した。いまだこの辺はウチ同様の総中・下流家庭ばかりである。
 
 弁当後、雨降りやまず、午後の運動会プログラムは火曜に延期となった旨がアナウンスされた。中止ではない、一部延期となるらしい。えらい厳密なものだ。午前の段階で赤97対白101で娘の白組は4点リードしていた。別に午前だけでもいいんじゃないの、とも思うんだが、僕たちの知らないところで、マフィアか蛇頭か知らんが、この勝敗に莫大な掛け金が動いているではないか。火曜に白黒決着をつけるそうだ。火曜は無理だ、行けぬ。児童諸君の更なる奮闘を期す。
 
 来舞兄より、午前から雨天中止になるかどうかを問う着電が数度入っていた。
 兄は、岸里の御本宅にお父様のご機嫌伺いに行かれるということで、僕の参内を心待ちにしておられたのだ。お父様が僕のために「エビスビール」の缶詰め(缶ビールのことね)を取りおいて下さっているという。酒外れせんのは熱心酔舎の努めである。断る理由がない。
 おばあさんを見送り、家族をおいて僕は岸里御本宅へ向かう。家から自転車で6分ほどだ。
 兄のお父様ご機嫌伺いを為し、同行の娘御前ことり嬢、日継の御子ソラ王子と、兄を交えて少しくおしゃべりし、エア餅やエア焼き芋遊びをして、芋焼酎4合ばかしを受く。
 なんやかんやで、現在、ギャグ漫画家を目指し猛勉強、積極的に執筆活動中の、ことり嬢の落語の稽古を、僕が兄に代わり見ることと相成った。本人がやる気というのがよい。ネタは5題から選択するということだ。
 楽しみだ。まさに出生から成長を見守ってきた子である。天寧とひと月しか生誕が変わらぬのに一学年違う。随分とお姉さんに見える。
 芸名もいるだろう。ウチの娘らは落語せんのに、既に天寧が「木の上みかん」、まつ梨が「畑乃いちご」を勝手に自称している。ことり嬢には「表現舎」の屋号を授けてはどうかともくろんでいる。
 僕は、道を直くするために先んじて遣わされたメッセンジャーに過ぎぬ。後から来るものこそが真の表現舎初代となろう。