第1034回 S君への個人書簡

あいべつり【愛別離】(名)【佛】愛する人と心ならずわかれること。(以下略)− 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂発行(昭和12年1月25日新訂第360版)より引用
 
 S君へ。
 君のもとに帰ってきた。僕はやっと君の披露宴会場に立っている自分の姿が見えた。時間がかかり心配をかけたと思う。
 君から時間確定の電話をもらったとき、僕はちょちょもうていたと思う(※ちょちょもうて=東京者の君にはわからないだろうが、激しく動揺しあわてることをいう)。完全に時間がかぶってしまったんだ。
 一晩ゆっくり考えた。昨夜体験した悶絶のさまは、かのメロスのような煩悶であった。走るように考える。そして気づく。答えはすでに自身の良心や、心の声として与えられている。
 僕は、君に殴ってもらいたい。それはたとえ一瞬であったとしても、君の宴に、だれかプロの司会者を宛てがうことが僕の頭のなかによぎったからだ。僕はこれを大きく恥じ入る。
 生涯一回の君の晴れの舞台に「僕がそこに居ない」ことは、今まで僕が君から受けた友情に反することになる。また、これまでの僕の生き様や信念にも大きく反することになる。これは仕事ではない。存在をかけた何かである。
 尖塔の上から街を見下ろし「このすべてをお前にやる」と言われても、世話になった人との愛別離苦を味わうことになったとしても、いかなる非難(そしり)を受けても、「僕がそこに居る」ことが、出会うはずのない、数奇な縁で友となった君の友情に応える唯一の方法である。ただ、気づくのに一晩かかる蛍光灯である。笑いたまえ。
 君は僕を殴れ。殴ってくれないと僕は君の目を見て微笑むことができぬ。そして、そののち熱く君と抱擁したい。今、友として、当然の、ごく当たり前の決断に至れたことを嬉しく思う。
 僕は、次代のわが血脈の縁(よすが)ある3人の者らに、この煩悶と悶絶、そして真実は何かを伝える使命を負うている。その機会を与えてくれて感謝する。
 これで後顧の憂いはない。君の披露宴を最高に楽しもうぢゃないか。
 
 ただ、殴るときは顔はやめてくれ。腹にしてくれ。また、差し歯が飛ぶと困る。