第1024回 「授業参観」参観記

アイドル【Idol】(名)1、偶像。2、誤謬。妄想。3、秘蔵物。− 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂発行(昭和12年1月25日新訂第360版)より引用
 
 授業参観というものに行ってみた。初めてだ。
 姉の学校は、僕は妻により「出入禁止」となっている。それは何も、他のお母さんとの間に浮いたラブロマンスがあるからとか、先生に食って掛かるモンスターピアレントであるからとかでもなくて、「何となくあなたが行くと恥ずかしいから」というのが真相なようだ。何なんだ、恥ずかしいとは!
 別にPTAたちの前で、宇治の名物ほうたる踊りをご披露して最後に正味をブッ放つわけでもないんだから俺でもかまわないじゃないか、とも思うんであるが、まあ僕も、アウディーをビシビシ乗りつけ、あんな巻き髪に膨大な時間と金がかかってそうなマリーアントワネットたち「お母さま」の中で、フランス宮廷貴族バリの気品を醸し出し、夏に家族で行ったタヒチ旅行の話を(創作で)しなきゃならないなんて気が進まない。姉の学校は、PTAでは無口にしている妻にすべてを託す。
 その代わり、妹の学校はワイに任しておけ、ということになる。市立の普通の学校だ。時間5分前に行くと、Tシャツ、ざんばら、サングラス、溶接工のような日よけの帽子をかぶった、ノーメイクで商店街をいつも走ってるおばさんやおネエちゃんたち「母ちゃん」らが、自転車でガタガタ集まってくる。お父さんたちも会社の作業着、制服、半パンサンダルの「父ちゃん」らであって、そこには「パパ」などいないし、につかわない。僕ものんきな一父ちゃんであることに胸を張る。
 授業が始まる。父ちゃん母ちゃんは、半分ほどが教室に入らない。廊下で小声のおしゃべりに打ち興じている。ちいちゃな妹や弟がいて入れないのだ。
 先生は20代前半の可愛い先生だ。最近の僕の近隣のアイドルである。落語大学メンバーで言うと、しっかりした、背の少し高い、すらっとした、美しい、花の家サラダであって(形容詞を書きながらもはやサラダでないことに気づく。発しているオーラだけが似てるんだ)、僕は先生の40分の講演(授業)を教室の後ろ端中央で全編堪能した。
 算数だ。気の散りがちな6歳児の集中の糸を束ね、指示を出し、考えさせ、答えさせ、理解させ、児童一人一人の席まで行って一面・一体と為し、何事かを伝えるそのさまは、われわれ表現にもがく者にとり、大きな一つのお手本である。
 加えて、授業の締めの言葉と、終わりのチャイムが、ジャスト・スジャータ(過去日誌をご参照願う)だった。きっと彼女は浜村淳先生の熱烈なファンか、わが陣中日誌の熱心な愛読者なのではないか、と思わせる見事さに唸る。すばらしい表現舎であった。勉強させて頂いた。
 まつ梨は2回当てられた。手を挙げるときの「ハイハイハイハイ!」は家でゴンタを言う時さながらにフルボリュームなのであるが、お答えするときの「ウサギは、16羽です」、「自動車は、10台です」などは、もう10日ほど飯を食ってない欠食児童のごとき、消え入りそうな小声だった。
 あいつは算数とか、計算を云々する前に、ここ一番で、前で感情を溜めた間を取って、しっかり声を張って、バシッと、ハッキリ・スッキリ・シンプルに答える練習をさせねばならない。
 そのために笑鬼会長宅に3カ月ほど里子の出すのもよい。ご夫婦の日々のご指導により、立派な関大亭系の表現舎となって帰ってくることだろう。
 まつ梨、心配しなくてもよい。ちょいちょい家庭訪問にいく。ライフで鶏を買っていく、そろそろ鍋の時期がやってくるからな。しっかり小母貴のお手伝いするんだぞ。