第1014回 大阪府津波・高潮ステーション一周年記念「防災寄席」 出演

 あいたい【■□(■=雲片に愛、□=雲片に逮)】(名)1、雲のたなびきわたるさま。2、とおめがね。ろうがんきょう。− 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂発行(昭和12年1月25日新訂第360版)より引用
 
 午前中は二日酔いだった。自転車で汗をかいて抜いた。打ち上げで、ついさっきまで笑鬼さんと、胸倉掴んで取っ組み合いしていたのに、また寄席から打ち上げのコースを経巡るのはじつに愉快である。
 午後1時30分に津波・高潮ステーションに着き、会場を見て、2時ごろから本番。
 本編二人で50分、お客様30〜40名といったくらいか。枕「便所のフタも浮いた浮いた」「暴妻袋」「蛇含草」、オジキ枕「高級住宅街・十三の思い出」「道具屋」。記録しておく。
 客席に近日ある敬老会に起用していただいた西区明治地区の会長さんを舞台上から発見。信号を送って感謝。
 
 僕がしゃべりだして30秒たったころか、最前列にお座りになられた■□(老眼鏡)をかけたご高齢の紳士で、車椅子に深く腰掛けておられた方が、突然に、嘔吐されたのだ、それも大量に。すべてご自分の服やタオルで、こぼさぬように受け止めておられるのが見えた。見たところ、意識レベルは正常。昏迷されているわけではない。しっかり目が合う。
 僕は幼い頃、体が弱く、自動車や舟に乗ると必ず酔っていた。車酔いちゅうやつだ。新聞紙を入れたビニル袋をつねに片手に持ち、胃をひっくり返していた。大人になってからも20代は、酒の飲み方を知らず、飲むたびに便所で嘔吐していたものだ(本質的に僕はアルコールは体に合わない。が、飲む)。
 嘔吐の苦しさは、たとえ他人のものであっても、わがごとの様にその苦しさに想いを致すことが出来る。わが咽の嘔吐反射は激しく、何かあると直ぐ吐くのは今も変わらない。今でも娘の「貰い嘔吐(ゲロ)」なんてしょっちゅうだ。
 舞台の上で「え!?」と思ったんだが、そのお客様は気丈にも、また健気にも、手で「大丈夫だ。続けろ」とのサインを送ってくださる。サインは次々に来る。「大丈夫だ!君は僕を無視して続けろ」と。他のお客様に対しても充分にご配慮してくださっている。
 でも、これは全然大丈夫じゃない。まだ連続して数回嘔吐しておられる。さすがに舞台上だったので「貰い」はなかったが、舞台経験史上、最大の緊急事態だ。これは尋常じゃない。舞台上からスタッフに緊急事態を告げ、助けを求めると、直ぐさま係のひとや近所に座っていた人が救護してくださった。
 弁当屋で働いていた時にむくつけき外人を素手で倒したことがあった。
 (2006-10-21 第25回「世界大戰」参照 http://d.hatena.ne.jp/HyougensyaR/20061021
 
 ついに僕は声だけで、それも枕の最初の30秒で、聴衆を嘔吐させるほどに、腕を上げたか、とある意味驚いた。不快な波動を発しているのか、と。
 あとで係りの方に聞くと、観光バスのお客様で、酔い止めとビールを一緒にのまれたのが原因ではないかと伺った。本当は話が原因だったのか、薬ビールだったのか聞いてみたいところだ。正解は、あの紳士だけが知っている。
 職員の皆様の温かいご配慮、迅速なご対応に感謝し、衷心より紳士のご回復をお祈りする。
 
 おあとご挨拶させていただいた当ステーションの所長さまは、「フフフ、私も関大です」ときた。
 まただ。前述の、ご来駕であった西区明治地区の会長さんも関大だ。もはや「石を投げたら関大」などというレベルではない。
 「横断歩道の白ペンキが全部関大」という状態で、この白部分を通らずして、すべての道は渡れない。