第1004回 コニタンとの思い出

アイシングラス【Isinglass】(名)魚類の浮袋の内側より製したる純白無臭の膠。− 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂発行(昭和12年1月25日新訂第360版)より引用
 
 アイシングラスとは何かがさっぱりわからない。仕方ない。辞書の掲載の順番に来るのだ。こちらは単語を選べないルールだ。
 
 久しぶりに旧友コニタンに会った。僕が潜りとして居た会社に先輩として彼はいた。6歳年下だ。彼は実に少年のように愛すべき男で、直ぐに馬が合い、実に良い友人として、同僚として付き合った。
 一つの現場で数ヶ月、商人宿の同じ部屋で寝起きする。今時はマンスリーレオパレスにでも泊まるんだろうが、昔は商人宿に泊まったんだ。毎日が合宿だ。関東や四国などの遠方なので、仕事はもちろん、休日も、食事も、飲酒も、何もかもズーっと一緒なのだ。仕事から帰ってから二人で寝るまで延々語り合ったものだ。実に愉快な日々が続いたのだった。
 夜勤警備の世界も衝撃だったが、潜水士の世界も驚きの連続であった。事情があって一年強しか居なかったが、開式タンクとフーカ潜水は、人生で潜るであろう分のすべてを経験したといっても過言ではない。やってないのはヘリウムと飽和潜水。やってみたくはある。
 現場で出会った佐賀の貝取りダイバー達の生き様にも驚かされた。平らぎ貝を取っている潜水漁師たちが、漁期以外は工事に出稼ぎに来ていた。豪快な人たちだった。稼いだ金はほとんどその日に使っちゃって出稼ぎになっているのかと訝ったものである。伝統的に職業潜水のそもそもは、ああいう種類の方たちのものであったのだろう。教科書の第一頁に、戦前におけるアラフラ海の貝取りダイバー達が大儲けしたがたくさん死んだエピソードが載っていた。彼らも金色に光り輝く真鍮の潜水ヘルメットを持っていた。大いに憧れたものだ。
 僕たちの居た現場の近所でも当時たくさん死んでいた。今もやっぱり死んでいるという。溺死や石積の下敷きなどをよく聞いた。フーカーホースが石に挟まれ大事故になったというのも何度か聞いた。実際、コニタンも石積で親指を圧壊させ、千切れた患部を腹部切開のうえ腹中に差し込んで大病院に移送されるというあり得べからざる経験をしている。
 装備も粗野だった。あの頃フーカーで潜る潜水士に空気を送るコンプレッサーは、誠にお粗末なものだった。旧式で故障しており(そしてそれを直さない)エンジンの排気が潜水者への送気に混じり、清浄フィルターをいくらかましても、エアーにエンジンオイルの味がした。肺はまったりと油に満たされていたようなものであって、当時の僕なら、程度の悪いアイシングラスがたくさん取れたことだろう(大体、アイシングラスって一体なんやねん。今日もこれでいいっすかね、知らん単語の日は力入らんわ)。
 時折、今も潜りの彼に会って現状の様々な話を聞くが、現場の安全面は少しづつ改善に向かっているそうだ。ホースの強度指定が厳格化し、陸上監視員の最低人数規制や、全員で一つで良かったリザーバタンクの個数が一人一個になったと聞く。良いことだ。
 後に、僕は陸に上がり、彼は今も水中に居る。彼には苦しい日々もあった。彼のお父様の件で彼と共に弁護士のところへ走ったこともある。今、彼は全ての問題をクリアして、結婚し、奥様と二人でお母様のお世話をしているという。
 出会った頃、彼は20歳だった。もう、38になるという。年を取るはずだ。
 これまた今日の日記も、関係ない世界の人にはさっぱり解らんかも知れんが、本日誌の意義は、こういう思い起こしたことを書くことなので、ご勘弁を蒙りたい。