第996回 堺福音教会での奉納演舞

 港区社会福祉協議会いきいき教室池島地区30名80分。的ココロ、蛇含草。温かい。ご自身たちで楽しんでおられる。
 余りに素直に盛り上がって頂いたのでご担当女史が心配しておられた。テイッシュ一箱をご進呈するなどと称して布団を売りつける悪徳商法などだったら、一発で買わされてしまうのではないかと心配だ、と。
 実際にちょいちょい3ヶ月ほどのターンで回ってくるのだそうだ。ネットワークの方は「注意してねー」と声がけをしたい衝動に駆られるという。
 うちの母親は近所でその類いの業者が店を張っていたとき、「私らそんなん、かかるかいなー」と言って出掛けて、足の電気治療器のようなものを買ってきたことがある。うちの母親なら「悪徳商法に引っかからない方法」というビデオを30万くらいで買ってくる恐れすらある。ご高齢の皆さんは充分気をつけて頂きたい。
  
 西区明治地区打ち合わせ。港区から西区だからこれはすぐだった。打ち合わせ終了。後、堺へ向かい移動。小雨。自転車。
 道中で決心する。本年度の池田での社会人落語選手権大会は辞退することにした。9月に指しネタでご下命を賜り、それに向けての調整を行うにおいて、昨年の気合で予選に向かうことは、兵力の分散。どちらもが疎かと為ろう。自身も予選を通過するかどうか解らぬが、そのような心持ちで大会に臨むのは、全国に綺羅星のようにおわす名人上手に申し訳がない。各位のご健闘を心より祈り、新ネタに邁進する事とする。その旨、笑鬼会長と来舞兄、豊能大姐、池田の吉岡さんにはご連絡申し上げておいた。

 続いてはアルパの同窓会だ。やはり泉が丘は遠い。地の果てだ。走るのに夢中だった。港区は日払いではなく振り込みなのだ。銀行で金を下ろすのを忘れた。
 
 走りながら思い起こしたことがある。書いておくところがないのでここに書いておく。もう22年前になるか。卒業旅行の独り旅。オールドカイロで出会った日本人−偶然に彼も「タカヒロ」という名前であった−とは、彼の方が随分と旅慣れてはいたが、共にバックパッカー同士ということで、10日間の旅程のうちの前2日間を共にした。彼とは共に20代前半にもかかわらず、ナイル河畔で足を水に浸して水遊びし、砂漠で砂山を作って砂遊びしたりした。何か馬が合ったんだな。
 彼は言った。「特別に旅程を決めていないなら、シナイ山にでも登ったらどうか」と薦めてくれたのだ。パスポートが汚れて他のイスラム国家には行けなくなるけどエジプトへは帰ってこれるような主旨のことを言ったと思う。彼は小アジアのほうに向かうらしく、自分は行かないが、と言った。
 僕も特に旅程を決めていたわけでもなく、また彼の薦めにより有名ホテルでトイレットペーパーをしこたまバックパックに詰めて旅の安寧は確保していたので、何とでも為ると思っていた。面白い、どうやって行くのか、と聞いた。彼は詳しく教えてくれた。
 確か3日目の朝の6時にバスはカイロから出発したと思う。彼は見送りに来てくれた。そこで彼とは別れ、現在まで手紙は一度交わしたが、その彼の日本国の住所も散逸してしまって今はない。
 バスは日本人一人だった。おおむねドイツ人のツアー客と欧米人の夫婦者、宗教関係の一団だったと思う。満席だった。隣に座ったドイツ人は、ビールを飲んでゲップをすると物凄く恥じ入った。まるで放屁をしたかのように恥じて謝ってきた。別になんとも思わない。ドイツ語はさっぱりであるし、英語はドイツ訛りが酷く、僕も日本訛りが酷いだろうから、ほとんど意思の疎通は不可能だった。
 麓の安宿で宿泊した。また、あのドイツ人と大部屋で一緒になったのだが、奴の鼾と足の臭いには閉口した。ゲップではなくここを恥じ入れよ、と思ったものだ。
 翌朝早くから登り出すのは富士登山と同じノリだ。ご来光を拝む。登山者らは一列になってシナイ山へ登る。僕の前は、またあのドイツ人だった。ちょっと太目の彼は、大量の汗をかきながら僕の眼前に尻が来る位置で登っていく。律儀な奴だった。一足ごとに綺麗に屁をひりやがった。ゲップであんなに恥じ入るくせに、リズミカルに屁をこいても「ごめん」とも何ともいわない。まるで僕たちのゲップの扱いだ。
 彼の奏でる屁のリズムに乗って、喜んで指を鳴らしてシナイ山を登っている場合ではない。僕は、皿屋敷の様に彼の前に行かせて貰おうとした。そんな時、やるだろう、手刀(てがたな)。手刀して頭を下げたら「通してください」という合図じゃないか。何度か前に行かせて下さいと手刀して頭を下げた。しかし僕は愕然とした。手刀が通じないのだ。
 そもそも手刀は、片手の合掌だ。つまりは仏式だ。仏式のしきたりが欧米基督者には皆目通じないのだ。あちゃー、と僕は途方にくれた。何故なら言語の意思疎通が不可能な間柄で「前に行くために通してください」をどんな手振りで伝えるのだ。
 仕方ない。僕はご来光を拝む山上の大岩の上まで、彼の奏でる屁のリズムに乗って、喜んで指を鳴らしてシナイ山を登ったのであった。
 ガイドが何かをくっちゃべっていたが、ドイツ語なので意味不明。しかし荘厳で厳粛な雰囲気の中でご来光を見て手を合わせた。思い出だ。記録しておく。
 
 堺アルパ。突如のめちゃぶりでのお話。こちらも記録しておこう。12分10名。天に向かいての奉納演舞。兄弟姉妹皆さんと楽しんだ。いつものように楽屋で祈る必要もない。根元に行ってるのだ。
 鍋であった。同窓会は伝統的に鍋の2機がけである。なぜか対決モードになる。昨夜はカレー鍋と鶏塩鍋であった。カレー鍋を食ってしまうと鶏塩鍋が器の中で鶏塩カレー鍋になることは必定。鶏塩鍋をじっくり味わい、カレー鍋に歩みを向かわせる。軍配は甲乙付けがたく。両鍋のつくねばかりを食べていた。つくねが好きなんだから仕方ない。
 自転車で行ったので喉が渇き、冷緑茶を4バレルほど飲む。ポットごとお替りする。無論、ノーアルコールだ。
 
 お別れして帰る。霧雨が気持ち良い。何度も道に迷う。星が見えないので方向を間違える。岸和田方面に走ってしまうのだ。北斗七星をいつも基点にして夜空を眺めていたことに気づく。
 背中のリュックにはお土産の抹茶ムースのチーズケーキが入っているので、前回しでかしたように歩道の段差で転倒することは許されぬ。あの時は柔ちゃんばりの、(失礼、柔参議ばりの)見事な受け身で事なきを得たが、背負っていた抹茶ゼリーは器の中でシェイクになっていた。
 迷い迷って深夜12時に帰還。缶チューハイを一本飲んで読書、就寝。