第977回 嬉しい報せ

アイコノクラズム【iconoclasm】(名)偶像破壊。− 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂発行(昭和12年1月25日新訂第360版)より引用。
 
 僕が夜勤警備をしていた頃、大変世話になった監督がいた。T中工務店の人で名をS君という。何度もこの日記にも出てきているからご熟読の読者の中にはお聞き及びの方もあろうかと思う。
 齢25、葛飾の下町生まれの本物の江戸っ子である。江戸っ子は生まれて初めて見たといってよい。人と為りは温和にして明朗、何事にも気負うことなく飄々として、礼節を知り、かつまた人懐っこくウイットに富む、実に良き漢である。
 彼とは妙に馬が合った。大手ゼネコン会社の監督と、夜勤警備員であるから身分差や立場は格段に違うのだが、礼には礼で、情には情で、気持ちよくお付き合いした。
 実に様々なことを語りあった。夜勤現場は夜の9時半から始まり、朝の6、7時に終わる。夕礼での作業内容の詳細は勿論のこと、作業開始後は二人で心斎橋を行き交う人たちを眺めながら、仕事のこと、会社のこと、ややもすれば個人的なことまで話し込んだ。何しろ時間は膨大にあったのだ。正に語り明かすとはあのことだったろう、それもシラフで!
 両親のこと、在学中のクラブ、大阪での住居探し。とりわけ彼がお付き合いしていた彼女との交際については、結婚生活2ループ目のベテランとして最上級のコンサルティングをご提供した。結婚に至るまでのあらゆる問題点を討議した。ご両家への挨拶、社宅の取り扱い、結婚式場の選択、結納の手順と金額、仲人の取扱いなど諸事全般に渡った。僕の実家が結納屋であったことも強みであったと思う。
 式場選びでは幾晩も彼との討議は難航した。新郎が東京、新婦が宮崎。職場は大阪。いったいどこで結婚するんだ。限られた予算の問題もある。招待する客の交通費を各箇所で算出して比較するよう提案したのは、僕にも答えが解らなかったからだ。
 彼は僕と話し合った結果を当時同棲していた彼女に話す。その際、彼は彼女によく言ったという。
 「警備員の高野さんがこう言うてたんやけど…」 「でも、そのことは警備員の高野さんは…」
 彼女は「警備員の高野さんて誰なの!?」となっていたらしい。妙に結婚関係に一家言持ってる警備員っておかしいわな。
 僕の方でも、当時、今だ見ぬS君の彼女−写真も何も見せられず、ただ想像だけで想いを膨らましていた−を彼はただ「スナフキン」としか説明しなかったのだ。僕は高砂のお席に座るS君と、傍らに寄り添う「スナフキン」を偶像化してすべてのコンサルテーションを行ったのである。
 彼と出会って凡そ1年弱、夜毎の彼とのブレーンストーミングな夜勤は、2年と定めた僕の年季が明けたのを期に、僕の退職を以て終了した。
 6月に入ったある日、S君から久々の着電があった。曰く、挙式披露宴が決まったという。めでたいことだ。大阪で披露宴を行うという。僕は「おめでとう」と言った。
 「そこでご相談なんですが…」
 彼から披露宴の司会を頼まれた。願ってもない。喜んで応諾。コンサルテーションの最終章が披露宴司会だなんて、あらゆる進学校でもこれほど徹底した中高一貫教育はないだろう。
 元・一警備員風情が、大手ゼネコンの社員の披露宴で司会する。笑ってしまう。あり得ない。これを頼んでくる彼のおかしみが何とも言えぬ。
 
 金曜の夜、難波。打ち合わせ。僕は楽しみにしていた。あの「スナフキン」嬢に初めて会うのだ。どんな人だろう。僕のこれまで抱き続けた仮想の偶像がアイコノクラズムを迎える一夜となるやも知れぬ。緊張して待ち合わせ場所に向かう。
 彼がいた。そしてその隣にはとても愛らしい「スナフキン」嬢がいたのである。僕は、この人とS君のご婚儀を画策していたのか。ああ、この人だったのか!お話しするととても明るく楽しい、賢い人だった。S君良かったな。
 本番は、何分不慣れ、不手際等も多々あろうかと思うが、心に残る披露宴となるよう精一杯の進行を行う。それが僕からのお二人へのはなむけだ。