第971回 カメルーン戦の勝利

あいこ【愛顧】(名)なさけをかけること。ひきたて。− 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂発行(昭和12年1月25日新訂第360版)より引用。
 
 東住吉区鷹合西会館で小鳩会約20名80分。前段身体健康の話。後段坑鬱徘徊の奨めと「お忘れ物」。
 楽しく皆さんと過ごし、お後、茶話会にも着替えて参加。母と同じかそれ以上の齢の淑女たちとお茶呑んで大いに楽しく語り合い笑う。上品な大奥様方であった。お心を開いて頂き息子のようにご愛顧を受く。
 人は、笑ってる間は、否、笑っている間だけでも嫌事を忘れ晴れ晴れした気持ちになって貰おうと意義を感じ、志を立てて取り組んできたのだけれど、実は、心洗われているのは僕の方かも知れぬ。
 
 表題の件、若者らの蹴球への熱狂は凄まじいものがある。熱狂の様はあたかも民族主義の台頭を思わせる程の強烈さを持つように見ゆるのだけれど、実はせやない。大半は蹴球好き、祭り好きの発露であって、お祭り騒ぎがすぎればまた皆平素日常の緩い連帯の社会に帰ってゆく。後進国のように妙な民族意識と結びついていないのがいい。それでいい。
 目を転ずれば、蹴球ばかりではなく、各界、各分野(外交を除く)において、日本が数多くの失敗を乗り越え成功に導かれていく様を見ることができる。殊に先頃書いた科学技術や基礎的研究等の分野では顕著で、技術立国としか立ち得ぬ将来の日本国家再興の萌芽を見ているようで心強い。
 これら本邦の「強み」は、私のように教育過程において変にネガティブに刷り込まれ、帰属する国家に自尊心を失いつつあらされた私達の世代にとって、再度、自信を取り戻す一過程として必要欠くべからざる段梯子である。僕は何もできないが頑張っている皆さんを心から支援したい。
 さて近時、周辺諸国との和合、殊に欧州の共同体を手本として、大東亜に欧州同様の共栄圏を築くべきとする論調が聞こえる。確かに高齢少子の時代に国内のみの消費と労働力に頼って活きてはゆけぬとする主旨も理解できる。
 しかしその共栄圏において、百戦練磨の周辺他国と平等に渡り合うためには、今以上により強固な国家としての強みと弱みを自覚し、歴史観と国家観を踏まえた強烈なアイデンティティーと自信が必要であって、これらを軽く考え或は無視したむやみな和合は、単に強国に飲み込まれ、飼い馴らされ、薄められ、物心全てを略奪されるかのごとき浮目を招くこととなろう。国内問題として処理されるウイグルチベットの例はその証左となるかも知れぬ。前者は懐柔され薄められ、後者に至っては(国内の報道では)もはや消息すら聞こえぬではないか。また際限なく謝罪と賠償を要求され続けるのにも疲れ果てた。
 自らの主権を維持し、他と対等関係に立った上で「強み」を発揮し「弱み」を他者に補うてもろうて協調共栄するは、個人の人間関係のみならず、国家としても「国際社会において、名誉ある地位を占め」ようと現憲法で決意された先達らのご遺訓に順ずるものである。
 現時点では(それが何時私の中で満願の日を迎えるのかは知らぬが)「東アジア共同体構想」については、未だにその真義や利点を理解することができないでいる。記録する。