第924回 今更ながらの信仰告白

あの方を親しく知って25年になる。
桂三枝師。
知った頃から創作落語に勤しんでおられ、仲間内でも「どうして古典をして下さらないのか!」等と不平を垂れた時期もあった。実際、後輩の一は宴席で「師匠!古典をやって下さい!」と正面からぶつけたものもいる。
あの方と親子の契りを結ぶことを真剣に考えたときもあった。僕はそのルビコン河を渡りきれなかったチキンである。
 
人生において自分の能力を超えるオーダーを受けるときがある。或る先から「乱坊ちゃん、『ゴルフ夜明け前』頼むわね」とお声掛かりを受けた。
あの方の創作の大作である。僕にとっての思い出は、我ら落語大学の系譜に燦然と輝く名人上手と謳われた、かの瑠畔(ルパン)兄の関大特別講堂での名演しかない。あれは凄かった。大いに憧れたものだ。僕にあんな噺が出来るわけがない、とやりたいネタのリストに入れたこともなかった。
 
オーダーを受けて拒む理由がない。受諾。時間は1ヵ月半しかない。大慌てでネタ帳を入手。逐言叩き込もうとするが入らぬ。己の脳味噌の仕様の低さに呆れ、泣いて心斎橋の天を仰いだ夜も幾数知れぬ。
音源も数々聞いた。文言は勿論のこと、あの方の運び、間、息遣いまでをも何とか吸収したいと、眼前には見えぬあの方と向き合ってきた。
 
一つ解ったことがある。後日の証しのために言っておく。
桂三枝は天才である」
我が部創設期の諸先輩たちが当時の河村先輩を世に送り出すにおいて、「三枝さんが食えなかったら、何とか皆で金を集めてでも噺家として応援しなければならぬと思った(十巣師談)」と感じた由縁を、当時から約半世紀、近く桂三枝師を知って四半世紀たった今という膨大なタイムラグを経て、独り、丸裸で才能なき憐れ一凡夫は、漸くにして痛感、共感することが出来た。
 
土曜日が本番である。大砲の音のCD、仙台平の馬乗り袴、ご依頼のめくり台など、諸先輩や近隣諸年次の協力を以て用意は出来た。
テストの舞台も会長、芸大OBのご好意で経験した。各位のご厚情にこの場を借りて厚く御礼申し上げるところである。
当日は、おそらく子供が本を読んでいるような拙い舞台になるやも知れぬ。当日は師に憧れて、客席の皆様のど真ん中に五体を投げ出して、二度と再びない時間と空間をお客様と共に精一杯楽しんでこよう。
「あの丘の上に群れ立つ雲を見ろ、まるで坂本さんが呼んでいらっしゃるようではないか」この一行のために喋ってくる。
この噺は、僕にとって「はてな」、「富」、「くしゃみ」に匹敵する生涯追い求めるべき噺となるであろう。
 
では、繰って来る。時間がない。