第909回 葬儀告別式参列

あ【彼】(代)あれ。かれ。「彼れはと雲井に見し月の」。― 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂發行昭和12年1月25日新訂360版より引用
 
 深夜、一人二人と歸りかける。余は場を一階の佛の側に移し、喪主たる長兄樣、會長、四男樣らご親族、又會長令夫人らと引き續き献杯す。思ひ出話を親族同樣に端で聞かせて貰ひ、佛の西國の旅路の道中ご安全と其の道中お心安からん事を祈る。
 長兄樣ポツリと言ふ「落大といふものは昔から誠に面白い人間關係を續けてるなあ」と。
 クラブといへど、二〇代から六〇代迄が一堂に會し、バカ騷ぎできるのは不思議な光景に映ると仰る。長兄樣は高校、大學と名門校でバスケットボールを續けたクラブ人間なり。今も後進の指導に當たらるゝと聞く。其の彼をして落大は不可思議な人間關係に見ゆるとぞ云はせるなり。
 想ふに「落語大學」の名は同じくとも、見てゐた、或いは見てきたクラブは、全ての時代で全く異なる。異なりはすれども、たゞ傳統藝能口移しの血脈が、其の血脈のみで打ち續く細引のやうなもので紡がれたるものしか共通のものは、實は、ない。此の細引は日常生活で氣づかぬ程の纖細極細なるも、一度縫はるゝと中々切り難いワイヤの如き強度を持ち、かつ又ゴムの如き柔軟さを持つ。余は身體の一部に此の絲が貫かれてゐる事を誇りに思ふ。
 午前四時に會長が二階で寢る。周圍には桂三歩師の骸が轉がり、二人の鼾は交互に輪唱の形態をとり美しきハアモニイを奏でたり。とても寢むれる状態にはあらざるなり。
 其の横に余もドウと倒れ込むが、始發に乘つて歸る爲、又起きて一人飮みしてポケポケす。仕事柄、徹夜は得意なり。
 午前五時。一旦自宅に歸らんと佛の間に降り行くと、會長令夫人、佛の前に獨りポツネンと椅子を置き坐り、うたゝ寢されてゐるを見る。佛、即ちご母堂樣は昔氣質の嚴しき方であつたと聞く。令夫人、其のご母堂樣のお世話に最後迄ご獻身されたやに聞く。
 皆が酒玉碎したる最終最後、線香の火を絶やさず夜伽の任に當つたは、やはり令夫人であつて、其のご獻身の最後の一分を垣間見たり。日本一の貞女、麗しき日本人女性の鏡なり。余の當夜の感激を此處に記し置く。
 始發にて歸る。歸りて直ちに天寧・まつ梨を叩き起し、學校の制服を着せ、再び服部會館に向け出發す。妻バイトで余が子の面倒をみる擔當日なりき。斯くて告別式は子連れとなりき。
 天寧・まつ梨は葬式に出た事なし。人の死について餘りにも經驗なきままなり。死・別れ・儀式等、生きる事の意義に思ひを致すに相応しい重要事項の説明を、親族同樣のご葬儀に於て體驗せしむる最善の機會なり。電車で子等に告別式に參列する意味、姿勢等を諄々と言ひ聞かせ服部會館に臨む。
 讀經、初の燒香、僧侶ご退出時の合掌、初の別れの獻花、ご出棺、お見送り。親族樣方と共に體驗させて貰ふ。子等への主旨をご理解頂いた會長からは
「骨上げ迄連れて行つたろか?」
とお誘ひを受けたるも、余が別れの膳で酒(さか)しくじり爲すを恐れご辭退申し上げたり(別れの膳迄食らふ氣か、ド厚かましきこと此の上なし)。
 ご參列は順不同にて、粹花師、狂角師、ぱんち師、呂瓶師、來舞兄ら。
 歸りに服部驛前の割烹「檜」にて精進落しの鯛すき。熱燗を皆で凡そ一升半ほど痛飮す。梅田でもう一軒行くという粹花師、來舞兄らを振り切るやうにして、子等に引き連れられ歸還す。
 而して夜勤明け同樣の爆睡爲す。此の調子で飮んでたら、ご母堂樣の淨土ご到着を追ひ越す勢ひでこつちが逝つてしまひさうな具合なり。今週自重の事。
本項完