第900回 再序

 先ずは、衷心より謹みて新年を賀する。前年に引き続き、旧倍のご指導を願い奉る。
 さて昨年、娘の辞書を用いて少しの間、短文練習に勤しんでいたことは延べ人数凡そ五万数千になんなんとする拙日記ご愛読諸候の記憶にも新しいことである。しかし前回の企図は娘が学校に辞書を持って出るという予期せぬアクシデントに見舞われ連載中止の浮き目に逢うた。それ以降はうやむやとなり単なる忘備記録の雑文綴に為り下がったのであった。
 継続の本懐を遂げられなかったことは各方面からの御叱責を真摯に受け止め怠惰な性格を本質的に有する余の大いに恥じ入るべきところである。
 年改まり、余は一念を発起し昨年に果たせなかった懸案の『乱坊雑文集成』、即ち、辞書一冊丸ごと短文練習の遠大な計画にまたもや着手することとした。
 今回は、他人の邪魔が入らぬよう自分の辞書を用いる。その辞書は、祖父の直伝であり、余が小学生時代から使いふるしたもので、生家の書庫に保存していたものを正月休暇で現宅に奪還してきたものだ。金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂発行昭和12年1月25日新訂第360版である。本書の初版は大正14年。後に改版を重ねて収録語数は10万余となった(昭和9年の新訂第200版の編者緒言より)。語は、余が父の生年(昭和12年)に巷で話されて居たものであるからして少々古めかしくはあるが、余の小中高の言語獲得段階に再三参照し倒した懐かしき逸品である。
 本『乱坊雑文集成』は以下を旨とする。
 一、これまでのように毎日一題で書くのは辞める。毎日一題書いても273年かかる。よって一日一題形式は辞める。9世代かけてやることじゃない。余は、思い付いた時に一日何度でも書くことができる。また期間を定めず自由に休むこともできる。
 二、長さの決めをしない。基本は短文である。短いことを恥じない。かつ、それは駄文でもよい。乱坊の脳髄の襞々や脳陰唇のビラに残りたる一抹の思い出、僅かな残像までを赤裸々に書き殴ることにより、余が脳幹から大脳表層の全体を書き写すべく努めよ(割りと下品低烈な内容となることが予想される、読者各位は衝撃に備えられたし)。
 三、前段にいうように、これは一に、後代に残す乱坊の薄き体系を書き殴る文集である。後代はこれを以て21世紀初頭の一凡夫一市井が何に関心を示し、何を重んじ、如何なる煩悶を繰り広げたか、如何なる市民生活を送ったかを知る一級の一次史料となる。
 かてて加えて、四にこれは、余が娘らに遺す父の生きた証である。彼女らに全てを語り尽くさぬ内に逝く父の遺言であり、その中から彼女らが血脈の残骸を探しだす縁(よすが)とせよ。
皆さんの監視だけが頼りである。でないとまた止めてしまうかも知れぬ。お付き合い下さい。