第888回 神風

 日本國に生まれ、普通に民間人として生きる者として、如何なる政權が政事を行はうが別に構はん。よい方に向かふなら何でもいい。
 私は、神ながらの道、即ち神道の嚴密な意味での信徒ではない。歸屬するといふ表現が妥當である。神道と言ふからややこしいのだ。鎭守だ。村の鎭守の森のことを言つてる。地域コミュニティの象徴的存在としての地域住民結合のシンボルであつて、私は幼い頃からその森に遊び、皆で御輿(太鼓臺)を擔ぎ奉納させて頂くなかで、鎭守は全ての人間關係の中核としての重要な役割を擔つてきた。これは解りやすく言ふと自治會や婦人會、同窓會に歸屬する状態などに近い。
 かつ、人と人を繋ぎ、人々が參拜してきたお社は、その場に神々が實に存在するかは暫く置いたとしても、千數百年の長きに渡り樣々な情念を受け止めてきた特別な地であることに變はりはない。地域コミュニティ、地域住民結合の象徴といふべきお社に敬神の念、尊崇の嚴肅な感を抱くのは日本に生まれ育くまれた一般市井に當然の感覺である。
 父は郡の神社奉贊會の會長を拜受してゐるが、それとて前述の如く嚴密な意味での信仰といふ形ではなく、育んでくれた地域コミュニティへの感謝の念の現れであることが見てとれる。それでいいのだ。
 地域のお社、鎭守のヒエラルキーの最上部には、日本國天皇陛下がおわし、國民の安寧と諸國民との平和を皇國の皇祖に祈つてをられる。日本國憲法にいう國民統合の象徴的存在として、村の鎭守の機能の擴大された相似的機能を帶びたご存在でいらつしやり、信仰とは別次元の尊敬の念を抱くのはヘッポコな戰後傾斜教育を滿身に受けた世代の代表たるこの哀れ凡夫にも0.25秒で解る當然の理である。
 近時、君側の奸の臺頭を聞く。國民統合の象徴に對し無禮千萬、日本國憲法への挑戰であり、國家存亡の危機である。卑怯なる朝敵は賊軍として眞正日本國民への叛亂の狼煙を揚げた。賊軍に權力を持たすことの危ふさはこれまでも日記で書き連ねてきたところである。
 これまでの(賊軍の前の自民)政權が良かつたと言つてるのではない。今、國民は國家の存亡の危機にあることを大いに自覺し、マスコミの矛盾を敏感に察知し、賣國奴征討の氣概を持たねばならぬ。先勝國のGHQをして解體せしめなかつた國の有りようが今弄ばれてゐる。
 必ずや神風は吹きこの狂態は是正される。確信してゐる。それぞれの場、それぞれの役割における各人の奮鬪に大いに期するところである。右、記録する。

朝歸り。假眠三時間。賣渡承諾書受領。
勤務實績報告。アルパ最終回。よい經驗となつた。