第873回 亀山房代君

朝帰り、寝る間なし。そのまま机へ。東住吉の帝王・米澤小父貴に渡す資料と、午後の金融屋いわし上げの悪だくみ資料を作成。
電話数本。
白飯に、昨夜家族が食べたであろう豚の生姜焼きを掻き込んで。
天王寺、米澤小父貴。選挙の総括などして依頼事項一件を託す。コーヒー一杯。
東梅田、地上げ屋。詳細打ち合わせ。コーヒー一杯。
帰宅。読書などす。酒が自宅になく、隠れ味醂を一合。
後、一時間睡眠。
夜、現場である銀行の鍵を開けて職方を迎えねばならん。眠いの堪え行く。
現場に突如、落大の皆さんによる陣中見舞あり。みな偉い酔うていた。
「あいつはこの辺にいるはずや」。やん愚兄の声が聞こえる。
そうだ、僕は確かにここに居る。この時代、この空間に立っているのだ。
監督が現場に無茶もんが暴れこんできたと思ったらしい。驚いて走ってきた。この監督とは幾百夜になろうか、互いに礼節を以て公私万事を(休み時間は愚か勤務中でも)語り合ってきた良き友人である。僕の周辺理解に役立ったことであろう。
さて、思う。思い付きで書く。
本来、雑踏を構成する一般人は「社会の風景」を構成する者たちを見ない。見ていない。僕もそうだった。見えないのだ。居てるのに居る人を意識していない。ポストや電信柱を個別に識別して歩く人などいないのと同じで、警官、警備員、夜勤工夫、駅員、売春婦、ホームレス、段ボール車曳き、看板持ち、客引き ― 民間一般人にとって彼らは単なる「社会の風景」であって個体識別の対象ではなく、「風景」は視野には入っていても視線を合わせることがない(実際視線が合うことがない)。
それは当然だ。自分のいる階層やレベル職域などしか見えない。
(※勘違いしないでね。貧富、勝負などという前世紀末に根絶駆除された共産、社会主義のような軽薄な二元論で述べるのではないよ)
しかし今は街の見え方が変わった。
ひと度「社会の風景」の側からの視点を体験すると、その「風景」自体が遠景ではなく、近景、否、接写で見え出すという激烈なパラダイムチェンジが訪れることを皆さんへの福音として掲げておく。幅広い社会の本質理解につながるはずだ。全く僕は世間知らずであった。
そもそも先達・十巣師を慕い後を付け、妻の冗談の提案を受けて洒落で始めた。やり出すと根詰めてこんなところまで来ていた。
貴方にも強烈なパラダイムチェンジは早い時期に訪れるだろう。「風景」と称され、昔は見えなかった、意識していなかった人達、街の立ちんぼの一人一人にも個別に暮らしと人格、背景と人生が存在すること(想像では理解できただろうが想像することすらなかった)。彼らの希望と絶望、刹那主義と逃避、野心や野望、社会や会社・他人への雑駁とした諦め。こんなゴッタ煮のスープをぶつけられ新参者の僕は溺れそうになる。
雑踏の中に佇みうごめく風景らは、「風景同士」互いに視線を交わして、素早く彼ら同士に通じる愛の言葉を交わす。
「お疲れさん」
立場・職種を問わず、風景らは、街をこの世の春と闊歩する大衆の影で、素早く互いに存在確認した旨を発し、彼らの渡世の疲れを一言で癒しあうのだ。僕も浮浪者に言われたことがある。
「お疲れさん」と。
彼らを含み構成される社会の成り立ちと比率の多さ、彼らを取り組み職を与えてピンハネする仕組みの一端を知る。
振り返り、自身のプライドと屈辱、恥、そしてそれを上回る見い出した使命や私自身が今この時期にこれをやるこの意義の発見が、脱出への野望と共に到来する。
そして得る。最大の幸福は、これら、浅薄なれども今なりの世界観獲得に至らんと努める有益無益の膨大な思索と、この場所へ私を導いた上天との直結の試みであるとの結論を。
雑踏には階層を超えた風景は見えない。本来、階層の中だけで完結する人生だからだ。その意味で、僕を探し出した昨夜の友人たちを誇りに思う。
【そして人生は続く】
次回を期せ!
 
11/26
午前、西成区役所へ領収証書押印。
午後、大ガスセミナーコンテンツ協議。コーヒー、サンドイッチ、エクレア。
帰宅、お好み焼き一枚。
天満橋勉強会。
夜、心斎橋現場。

昔、25年ほど前。三重県名張市の女と4年間付き合っていた。
今から思うと大層いい女であった。が、四半世紀も前のノロケを言うつもりはない。
その頃のある日、だ。難波セレナーデにおいて汗だくになり平日ノータイムを満喫した清い交際の僕たちは、風呂上がりの上機嫌で近鉄上本町を歩いていた。
その時、である。
「あっ!」
彼女が鉢合わせした女性とファーストネームで呼び合って大喜びで話だした。そして僕にその女性を紹介した。
「私の中学校の同級生やねん」
「あ、どうも。」
「いやー彼氏?」
「ええ、まあ」
三人で宇治山田行急行のボックス席に座ると三人で話を始めた。
その女性は実によく喋る人だった。いや、その喋りは才能に満ち溢れていた。凄かった。
以来、数ヵ月に一度、同じ電車にその女性と乗りあわせた。何度も二人で帰った。
僕は一時間の電車での会話を楽しみ、彼女の才能に惚れ憧れた。
またいい子でもあった。良く覚えている。乱坊ちゃんと呼んでくれて、二人でゲラゲラ笑って帰ったものだ。
後に彼女は機会を得て有名になった。
その彼女が他界したと聞いた。
亀山房代君の冥福を祈る。