第804回 あい【愛】4年 1、可愛がること。大切にすること。例 

いつもあらかじめ断っているが、既成政党で押したいところはない。

某陣営(無所属)の後援会づくりを手伝っている。経験はある。都会であろうが、田舎であろうが、決め手は候補者本人の公共精神と強烈なやる気、そして人と人とのつながり、しかない。後は個対個の恩と義理、仁義と人情と筋のスパイラルでキャンペーンは動いて行くのであって、政党単位のマニヘストなどはお飾りに過ぎぬ。早道のない王道だ。

テレビはチャンネル設定をWOWOW以外みな消した。もはや見ては居られぬ。小泉の時の煽動も酷かったが、近時のマスコミ大煽動は彼等の断末魔であり、大衆が実は衆愚ではないことを見謝った大失態として彼等自らの崩壊への序章と将来に記録される。この煽動により樹立を画策された新政権は、甘言を掲げ近付くが直ぐ様馬脚を現し、今は隠されておる国民大不利益を強いてくるであろう。
これへの反発が邪な為政者や国内不良分子を海内より駆逐する、組織されぬ国民的運動に発展する契機となる。これは十年以前に堂山町で現某府議に予言した「左に振り切っていた振り子が一旦右に振り抜いて後に穏やかな中道に戻る」ための、右振り抜き過程での左の最期の抵抗である。正常化の為の必要な過程とみる。

無論、保守勢力のこれまでの怠惰は猛省されねばならぬ。また保守の顔をした亡国の手先も山といた。情けないことこの上ない。

「いっぺんやらしてみたらええねん」

こう考えられるのも仕方がない。しかし勝負はその後にくるのだ。

回っていて名刺が切れた。別に私の名前を売るキャンペーンではないから、新しく注文した私の名刺が来るまで、別の人の名刺で挨拶に回らねばならぬ瞬間ができた。
姓のみを仮名とするが、伊藤愛(いとう・あい)嬢の名刺が余っていた。これしかなかった。いつも姓しか名乗っていない。私の名前を聞き返されることはほとんどない。本人ではないのだ、一事務局員に過ぎぬ。だが、万一、名を聞き返されたらなんと答えるか。
愛を「あい」と読む男性もあるだろう。しかしこんな顔して「あい」はこっぱずかしいので、僕は「さとし」はどうかと提案した。
すると秘書のT中君が「やっぱラブですよ、伊藤ラブ!」。彼は関大の大学院卒の年下だ。馬が合う。やはり少しアホの血が流れているのだろう。
彼は嬉しそうに言う。「ラブ、ラブ氏、ラブ様。何かしっくりくるじゃないですか!」
全然しっくりこない。

煙草をふかして聞いていた部隊の長老H山さんが
「…ラブと読むが、気持ちは裸夫…。深いな」いやあのね、全然深くないですから。

するとY沢さんが時計を見て、「あ、ラブちゃん、次の家行こか!」「はいっ!待ってください、Y沢さーん」

かくて私はその日一日、名前を聞き返されないかビクビクして過ごしたのである。

「ラブ…か…。」

誰も聞き返してくれなかったその日の帰り、地下鉄の雑踏にまみれて、いっぺんくらいは名乗りたかった自分の名前を口にした。

「ラブ、ラブ氏、ラブ様…、いいじゃないか」

気に入った。かくて名刺が来るまでの数日の間、伊藤ラブは大活躍したのであった。