第790回 爪田家十巣

尊敬する人物を挙げよと問われたら何と答えるか。
坂本龍馬伊藤博文公、田中正造ナイチンゲールキュリー夫人シュバイツァー博士。子供の頃に読んだ偉人伝から出してきてもよい。はたまたザラシュストラ、ナガールジュナ、朱憙、玄奘鄭和やイブンバトゥータなどマニアックな偉人も捨てがたい。
しかし私なら迷わず挙げる。爪田家十巣、と。
落語、噺家への憧憬とルビコンをわたらなかったことはさておくも、離婚、転職に選択する職業などをじっくり眺めれば、人は「ははは、偶然にしてはよく似ていますね」などと言うかも知れぬ。
偶然ではない。僕の人生は、師のそれの模倣である。師をレスペクトするが故のコピーを目論んでいる。
残念なことに何れの場面においても、彼の劣化コピーであって私は師の六割にも満たぬ小粒である(これを書いておかないと世の爪田家十巣ファンから謀殺される恐れがある)。
昨日、会長が酒席から電話を下さった。電話を変わられる。
「あー、十巣ですがー」
私は家のサファで直立不動の姿勢を取った。
「笑鬼から聞いたんやけど」
はっ、と腰から三十度傾けて礼の姿勢を取る。
「君、昇進したらしいな」
はっ、申し訳ございません。
「アホか、君は。何を考えてるんや。君はそんなとこで昇進している場合か!やらなあかんことがあるやろ!」
はっ、おっしゃる通りです!
私は猛省した。確かにあんな世界で昇進している場合ではない。あの人が検定指導員等を取って昇進したのをレスペクトしたんだが。
「この件については別に席を設けて申し渡すことがある。改めて出頭せよ」
はっ、御意に。お指図お待ちしております。
「大儀である」
ははーぁ。
お小言を頂戴するは恭悦至極。その日が待ち望まれる。