第773回 今週乃積残

12日金曜の昼、御堂筋線。車中の座席はほぼ一杯。立ち客がチラホラ。そこで不思議な光景を見た。

僕の座席の対面の席に、推定35歳くらいの男性、カジュアルな服装。意識レベルは普通そうな感じ。でも足を組んで口を開け、一心不乱に携帯ゲームに打ち興じている。

そして、きっちりと揃えられたお膝の上には、お弁当箱だ。

開いていて飯に箸を刺して置いてる。食いかけだ。
中身は、鶏の炊き込みご飯が約三分の一にぎっしり。区分けされたオカズコーナーには大振りのサバの煮付け、卵焼き、敷物にレタス、そしてプチトマト三個。オカズコーナーは彩りも鮮やかに整然と並べてある。明らかにご夫人またはお母上がお作りになったに違いない。出来映えが美しい。

彼はそれをお膝にチョコネンと乗せて、二分間に一回ほどのペースで飯を口に運ぶんだが、その実、猛烈な勢いで携帯ゲームに取り組んでいるのだ。
時折サバの骨を口から引き抜いて、弁当箱の端に並べている。そしてまたゲームだ!

「…ふんぬっ!貴様ーっ!ゲームするか、飯食うか、どっちかにせぇ!
 せっかく作ってもろうた弁当を、そこすんだりな食い方さらすなっー!」

喉の奥まででかかったが、まあ、人の事だ。吼えない。吼える権限もない。それは本来お母様の仕事だ。

数日前、左翼の煽動ビラに弁当を電車で食うのは常識の崩壊だとする文が載っていたらしい(朝日か毎日の社説)が、不動産屋の真実率(3パーミル)程の確率で煽動ビラにも本当のことが書いてある事を知る。

まあ、これが近鉄大阪線伊賀神戸以遠のビスタカーやら、白浜へ行く国鉄黒潮ライナーなんかで、五ヶ所湾とか椿温泉に情婦と秘密旅行への車中、などとご陽気な案件なら話も解るし、絵にもなる。

だが、今はここは御堂筋線の本町〜淀屋橋間だ。別にここで食わなくても靭か中之島公園、或いは市庁舎の待合、府庁の府民情報室なんかでもいいじゃないか。せめて、せめて駅のベンチで食うたらどうなんだ。何でここで食ってるんだ?

ああ、そうか!君には時間がないのか!こりゃ僕が悪かった。君は忙しいんだな、猛烈に。
じゃによって青葉の下で木漏れ日を浴びながら、目を細めて

「あー、いい季節になったなあ」

などと飯食う時間も惜しいほどにタイトなスケジュールで…。

ほな、携帯、置けっ!ピコピコ鳴らしてゲームすな!
おまけに君、ヘッドホンで音楽まで聞いてるやないか!聖徳太子か、君は!

…まあいい。すまん。怒鳴らない約束だったな。お母様にお任せしよう、それは。

しかし実に不可思議な光景だ。
でも、これはまだ正常な範囲なんだろうな、僕には理解しがたいが。

大体、正常であるか否かの境界なんぞは、鉄筋コンクリート製の堅固な擁壁で出来ているのではなくて、岡本理研バリの極薄な、しかもポンカン飴を包むオブラートほどの軟弱さの膜 − 否、膜のような物理的な構造ではなくて、温度の異なる気体同士の接面程度のええ加減なもんかも − であって、境界自体があっちへ行ったりこっちへ来たり、或いは自分自身がその境界で「行ったか来たか号」しているのである。

抑も、人の常態の正異などは、被観測者単体の行為全体ではなくて、彼らの行為の一つ一つの部分に対し、観測者らが「多数決」にして漸く決められる程度の、そのくらいの誠に極極頼んないものであって、このええ加減さは裁判に於ける責任能力の有無の鑑定などでもお馴染みだろう。

ここは妻専門の領域だから余り大きな声では言えないが、ローマ法以降の歴史を持つ某体系からすると、あんなのは科学じゃないし学問でもない。詭弁ではないか!…失礼した。取り乱した。

正常か否かの境界ということについては若い頃に少しく垣間見たものがある。

もう十年になるか。或る土地の開発に関し、K社の社長と共同事業として業務提携の約定を交わした時だ。彼は、別の案件の開発に失敗して24億の債務を負っていた。(まあ当時はそんなのが僕の回りにはゴロゴロ居て会った中での最高額は168億。一人親方の開発屋のおっさん。まあそんな時代だった)。

このマイナス24億の彼は豪奢な造りの事務室をしきりに自慢した後、自身の借金に触れ、

「24億なんて屁でもないですよー、私は借金があるから頑張っていけるんです。貴方も借りるだけ借りればいいんです、私はこの事業で頑張りますよー」

彼のこの事業にかける熱い想いと計画中の壮大なプランを沢山聞いた。一世代違う僕に叱咤激励と多大な説教をしてくれた記憶がある。

彼は、この二日後、調印したこの事務所で、首を吊って死んだ。

何が起こったのか意味が分らなかった。彼はどんな気持ちで僕に説教をしたのか。彼は、こちら側に居て冷静に首を吊ったのか、はたまた向こう側へ行ってしまって吊ったのか。今も解らない。

話は変わる。今度の話は8年ほどになるか。
同い年の府下の販売会社S社長は、無借金で業績を伸ばし業態を拡大していた。お酒は一滴も飲まない方で冷静な人だった。バイクが好きだったらしい。酒席でよくその話が出た。僕が決死の覚悟で取り組んだ案件を彼はよく売ってくれた。

ここからはS社長の配偶者と目撃者の証言による。

平素は飲まない彼が、珍しく飲んで帰ってきたらしい。といっても家人と普通に言葉を交わして寝たという。ところが彼は夜半にムックリと起きあがり、突如、愛する彼のバイクに跨り、自宅の駐輪場を国道に向かって急
発進して行ったそうだ。

その半時間後、警察からご自宅に電話があった。S社長は家からほど近い、国道に面したコンクリートブロックの塀に真っ正面から直角に突っ込んでいったらしい、躊躇いを意味するブレーキ痕もなく。

彼の経営上の満たされた境遇を考えると、全く以て不可思議なことこの上ないんだが、その後、ヒントかも知れぬと思わせる出来事があった。

彼の49日が過ぎた頃か。彼の実の妹が僕の所へ来た。

法人の正当な承継人であるという権限を示す書面を提示した。僕がS社長の法人に支払うべきであった300万某かの手数料を請求に来たのだ。他の相続人等の承継の許諾を示すそれら書面の整合性を勘案すると支払うべき先は彼女であることが解った。僕は彼女にその金員を支払った。

その妹には同行者が居た。同行者の肩書きは自称「フィアンセ」であった。ビジネスの現場に「フィアンセ」とはなんなんだ?とは思ったが、このフィアンセが尋常ではなかった。

僕は、舞台の上の中條健一こと浪漫亭呂澪さん以外に、この「フィアンセ」ほどのステレオタイプのヤクザの格好をした人を見たことがない。
その彼が「二人でお兄さんの会社を盛り立てていくんです」と殊勝なことを言った。
僕は飯を噴出しそうになった。嘘に決まっている。

僕が妹に渡した金を、彼が勘定した。

「何でお前が札を勘定するんだよ!」と思ったのを覚えている。

フィアンセはうれしそうに一枚一枚唾を指に付けて300万某を時間かけて勘定すると自分の小さなカバン(金融屋が持ってるような仕事する気のなさそうな皮のん)に入れた。そして妹に目で領収書の発行を促す。妹は受領を証する印を押した。

妹が悲しそうな顔をしていたので、フィアンセが便所に行ったとき大丈夫ですかと聞くと「来月、結婚することになっています。兄ともご縁があったのでご案内しますね」と幸薄げに語った。

あれから8年たったが妹さんとは音信不通だ。まだ披露宴には呼ばれていない。

それどころか後日調べたのだが、僕が妹さんに支払った2週間後には、彼の会社の事務所は売却により所有権移転されていた。売り払われていたのだ。
登記の日数を勘案するとあの前後で決済していたことになる。どんな事情があったのか知らぬが、悲しいことだ。

あのフィアンセとバイクの社長がかかわりあったのかどうか知らぬ。でも彼はコンクリートに直撃した。意味が解からない。

落ちもひねりもないが、弁当の彼を見ていて、思い出したので書いておく。

賛助に行く時間だ。でなきゃならないんでこれで置いておく。まぢ書きしてすまん。

水曜。西成区天下茶屋
40名90分(ウチ10分の蛇含草を含む)。
上がって独り打ち上げ。夜105勤目。

木曜、南港ハイアット、日航茨木で協議。
どちらもいけそうな気配。

100勤を超えて司令室から職長の命を受ける。
某現場、6月半ばから10月末まで。殺す気か。

某代議士より事務局復帰の詔。
8月2、30のラインで決戦か。昼、寝させてくれ。
寄って集って殺しよる。

一辺に色んなことが。自分用に後日のために記録する。