第635回 悦子逃走

朝、あれほど気を付けるように言ったのに、天寧が学校に行くときにドアを不用意に大きく開けたので悦子が家から遁走した。天寧をとりあえず学校に送り出し、父母と妹のまつ梨の三人で十階の悦子を追い回す。くうこっこ、と騒ぎ駆け回るので、三人でサイサイサイサイと部屋に追い込もうとするが、カチャ、っと隣の1005号室の山岡さんの鍵の音がした。
「やばい!」
先日言った、犬を処分された老夫婦の家だ。あ゛ー、家まで帰れない!悦子まて悦子!自室の1004号までは行けない戻れない、だって今僕は1001号の高橋さんの部屋の前なんだもの。
あかん、見つかる、1003号の山岡さんの奥さんに見つかる。処分だ、処分になる悦子、ああ悦子!ミンチになるんだぞ!
その時である、カチャ。
1002号室の奥野さんの奥さんだ。小学校の教頭先生をしているという奥野さんの奥さんが
「山岡さんに見つかるとまずいわよ、さあ早くウチヘ入れなさい!」
自分の部屋に家族四人(悦子を含む)を招き入れてくれたのだ。
奥野さんの家で息を潜める。まつ梨が悦子の口をふさぐ。
山岡さんは「何だかこの階で動物の声が…」などといいながらエレベータに乗って一階に降りて行った。きっと管理人にでも訴えているのだろう。
全く危ないところであった。
悦子、勝手にうろうろするんじゃない。会長の家に行くその日までどうかおとなしくしていてくれたまえ。本当に君は困った子だね。