第407回 天王寺にて

 酒席。僕の自慢の兩弟に兄貴面してかう言つた。
 僕が君達二人を「先達」と稱し尊し敬するのは、落語の上手い下手によるのでなく(もちろん上手いんだが)、以下の理由による。
 僕たちが現役を退いたころ、落大OBで落語を今の君達のやうにコンスタントにやつてゐた人は、プロの噺家になつた人以外には居なかつたと思ふ。僕も後に司會や漫才にシフトしていつたことを覺えてゐるだらう。他と群れず、獨立系で細々途切れ途切れに出てゐた僕にとつては、才はもちろん場がなかつたし、噺を續ける氣力もなかつた。このまま培つたものもくち果て色褪せて、普通のおつさんになり果てるのであらうなあとボンヤリ思つてゐたものだ。(まあ實際、普通におつさんなんだけどな)
 ところがである。君達は異なつた。他と連携し或いは衝突・反撥しつつも、コンスタントに實に一定のペースで出續ける!間違ひがあれば上位年次の方々にご指摘いただきたいが、技能はさておき落大OBの在り方として、君等二人以前に、プロ以外のあのやうな在り方を現出させた人間がいたか。
 今はいる。澤山の仲間がいる。だが君等以前で、僕の側で、落大OBとして常に出續けることを通じ、藝で己自身を高めんと自己との眞摯な對話を續ける苦しさや美しさをみせてくれた人を僕は知らない。
 落大のカリキュラムは四年で燃えつきる素晴らしいものであると灰になつた私も自負する。灰になつて異なる世界で仕事にまたは新たなる趣味や新生活に奮鬪することも誠に貴いことである。
 しかし僕にとつて君達は、近時(四十周年以降)の落大OBの活況を導くためにこれまで延々と絶やさず燈し續けられた燈臺であつて、これからも落大OBのあるべき一端を拓り開く牽引車であるやう強く要請する。僕たち澤山の「年長」が、君達の後を追ふ姿をみて我が部精神健全なるをみると。
 この話をする間中、やん愚さんは三十秒に一回僕の顔を撫で回し、話の終りにカッターシャツの上から僕のチクビを舐め(やがつ)た。
 「…は、はうつ…」僕はのけぞつた。
 ここで、この話はだいなしになつた。