第199回 方便

 ほろ醉ひは實に危ない。
 地下鐵で走行中、急にガクンと減速した。僕は前から二兩目、前から二つ目の右の扉の鐵パイプを握つてゐたので事無きを得た。
 ガツン!物凄い音。その方を見た。
 すると一、二兩間の聯結に男性、六十才前後が倒れてる。瞬間は見てゐないが、恐らくほろ醉ひで制動の衝撃に脚がもつれて吹つ飛んだんだらう。その拍子に聯結の扉に頭をぶつけたやうだ。
 物凄い音に皆が注目した。をぢさんは恥づかしさうに頭を掻きながら立ち上がり、何ごともなかつたかのやうに振る舞はうとした。
 
 「あのー」
 若いOLだつたと思ふ。
 「大丈夫ですか」
 をぢさんはキッパリと言つた。
 「大丈夫です」
 
 しかしよく見ると全然大丈夫ぢやない。後頭部付近から血がポタポタとカッターの襟に滴り落ちてゐるんだ。乘客がティッシュを次々に差し出す。をぢさんは「大丈夫です」を連呼。
 ほろ醉ひだから血行が良くてポタポタ血が出るんだが、自身が血を見てないし、これまたほろ醉ひだから痛くない。こつ恥づかしいのもあるんだらう。
 「大丈夫です、大丈夫です」
 次の驛がたま/\僕とをぢさんの降りる驛だつた。心配さうな殘り客に見送られをぢさんは皆から貰つた大量のティッシュを持つて下車。
 僕が近付くと、まだ
 「大丈夫です」
を繰り返すんで、このまゝ歸らしたらまづいと思つたんだ。
 「をぢさん全然大丈夫ぢやありませんよ、お醫者さん行かないとまづいですよ」
 「いや大丈夫です、大丈夫ですから」
 「だから全然大丈夫ぢやないつてば。をぢさんには見えないだらうけど、後頭部の半分くらゐ吹き飛んでますよ、ケネディみたいに」
と、僕もほろ醉ひだつたんでちよつと話が大層になつたんだけど、耳元でいふとをぢさん、やつとわかつたみたいで、頭を掌で拭ふとベッタリと血が付いて
 「えつ!」
となつて(こゝでわかつたんだろな)、急に痛さうな顏をしてフラツキだした。
 「醫者行くわ」
 よつしや待つときや。直ぐさま車掌さんに事の次第を説明すると、無線で驛の係員に聯絡。間髮置かずマジ走りで驛員二人が走つてきた(かつこいゝぞ地下鐵職員!感動した)のを見屆けて歸つた。
 
【陣中日誌兼戰鬪詳報】
朝、
晝、税理士と何とか御前。お造り、天ぷら、そば、茶碗蒸し、香の物、味噌汁、飯。