第1242回 第5回砂九感謝祭(於豊中市岡町伝統芸能館) コーナー司会出演

 
【23日午前】砂九感謝祭(岡町伝統芸能館)の場内係という名の前説出演にむけ自宅を出づる。抽選会の司会もあるやに聞く。準備からあの愛すべきアホの英雄たちと一緒に居れるというのは最高の喜び、故郷に帰るがごとき心地がする。落大への感謝と、命をかけて上下の全年次を繋いだ砂九師に合掌。
【午後】「第5回砂九感謝祭」場内係と中入り抽選会出演。暖かいお客様112名のご来駕に感謝。場内管理、お膝送りは皆さんのご協力の賜物。抽選会10分を16分で降りた。巻きをオンタイムにする。舞台同僚のゲーム君、究めて当日を迎えた5人の演者、関係各位に敬意を表す。
【夜】打ち上げ。こがんこ十三、ちゃんこ鍋、焼酎など。各卓を経巡り全員と乾杯。至福の時。自席でほとんど鍋食わず。本寸法、理想の5題組とお囃子は謂わばあの頃の学外公演級。生き残る各代の今を切り取ったものだ。その栄光に残像を残せた喜びったらない。
     (『表現舎乱坊短信集成』11月23日の条から抜粋)
 
 番組を掲げておく(敬称略)。
 
 場内前説 表現舎乱坊・千里家芸夢
 
 鉄砲勇助 爪田家らいむ
 花筏 関大亭学乱
 親子茶屋 浪漫亭志瑠九
 
 仲入り 抽選会 表現舎乱坊・千里家芸夢
 
 野ざらし 千里家やん愚
 佐々木裁き 関大亭笑鬼
 
 砂九さんが亡くなられて、はや5年の月日が流れたということか。
 当時、ご自身の業をたたまれ、表現者としての新たな人生を歩み出そうとしておられた時だった。
 交通事故で敢え無い最期を遂げる。その際の衝撃は以下の日誌に詳しい。
  2006-11-24「第56回 砂九師をしのぶ」
 人間はいつか死ぬ。不本意なことをしながら生きるのも尊いことである。それは知ってる。
 が、自分のやりたいことをやろうと考えた人生があった、ということを彼は後進に命をかけて示した。
 それが正解かどうかなんてどうでも良いことである。人にとって失敗でも、自分にとって成功ってこともある。そもそも失敗も成功もない。
 彼の死は、後の僕らに何事かを残す。以来始まる煩悶の発端が記されている。
  2006-11-25「第57回 人生の転機」
 僕らにとって特別な寄席「砂九感謝祭」。ここに参画できていることは、僕にとって大きな意味がある。
 僕はこの日、この人の影を慕い、上下の先達に手を引かれ歩んだ。
 最高の一日であった。