第648回 炎獄屋騒動

十二月二十日乃至二十三日(土日月火)四日合併特大号
 ベテランの観測者には冗長であろうが、初学者もいるだろうから項を分って当時の状況を記しおく。これは全て私に向けられた嫌疑「乱坊=炎獄屋同一説」を否定するべく基礎知識を提供せんが為である。
 
 炎獄屋騒動(えんごくやそうどう)とは、2000年から2004年にかけて落大関係者が巻き込まれたインターネット上での小規模な祭りの総称である。「炎獄家」と表記する説もある。


第1 背景

 関西大学落語大学公式掲示板(以下、単に「公式板」という)は、2000年5月7日に千里家市松(31期)が管理者として立ち上げた関西大学落語大学公式サイトに設置された掲示板のことで現在も稼働している。立ち上げ当時、管理者自身がOBであったことからユーザーもOBを中心とした構成となり、利用者全てがこの公式板を「非公式」なものと認識していた。主な利用者は概ね現在のミクシに参画している当時の落大関係者であり、彼らはテキストを書き列ね自己表現する掲示板という新しい手段に興奮し、恰も「部室」のようにいつも屯した。
 「落大」と名の付く限り常に活況かつ面白くあれかしと願い、本来単調なイベント告知に終始しがちな掲示板をなんとか生き生きとしたものとして盛り上げようと奮闘努力した。メンバらは毎日大変な勢いで駄文を書き殴った。各自が腕によりかけ渾身の書き込みを日夜行い、前レスを受け発展また超えるものを書こうと企み必死で腕比べをした。実に最盛期の公式板(仕様は現在と全く同じ)には1日20から30ものレスが毎日書き連ねられ、朝に書いた自分の書き込みは午後には遥か後方の頁に隠れて見えなくなる状態であった。
 メンバらの内、社会人たちは勤務中はおろか通退勤時、帰宅後も公式板を常時ワッチし、自然発生的な習俗としてイベント告知の書き込みが最上段にある状態を「恥」と感じる独自の文化を形成した。月末や決算月などで板の回転が滞った時には、当時の溜まり場であった大淀・堂山の「夢通り」や天王寺「訥庵」などに集い、酒を酌み交わしては公式板のあるべきを机を叩いて歯を飛ばしながら激論し、或いは肩を組み笑い、泣き、大いに叱咤激励し合って明日からの書き込みを約束した。
 これら数多の書き込みの中からジョゼッぺ=グリマーニ伊空軍中将の手に汗握る冒険譚や、秘書エリザベスとの心暖まる情交秘話は生まれた。ともかく当時、落大の公式板は現在のマイミクの全ての日記が毎日一板に書き連ねられるがごとき狂乱の賑わいをみせていた。
 この背景として、携帯接続の増加に伴う各人のインターネット接続環境の急速な発展があった。しかし実際には、就職して一旦は落大を離れたものの現下の様に皆が積極的に舞台に立つわけでもなく、社会で正常を演じることにストレスを感じるアホたちの自己表現の受け皿にはこの板しか場がなかったこと等が指摘されている。
 
第2 騒動の勃発

 現役の懸命な諸活動にも拘らず、公式板の異常な書き込みの量は一部批判的観測者らの耳目を集める結果となり、某巨大板伝芸板に落大の名を冠するスレッドが立った。その初出は2001年9月26日とされている(2008,高野の確認による)。この後、大学生活板を含む板々に2005年までの間に数々のスレッドが乱立した。
 もちろん伝芸板で特定の大学落研のスレッドが立っても過疎化するのが当然で直ぐにdat落ちしたものも少なくはないが、2002年9月30日に立てられたスレッドなどは1001番レスまで議論が進み次スレが立てられる事態に至った。これらのスレでは現役諸活動のありかたを議論する良質な切口のものも一部見られたが、殆んどは公式板におけるOBの書き込みに対する批判であった。
 ここで、これらの批判に重大な事実誤認があった点を指摘しておく。既述だがこの公式板の端緒はOB普段使いの「非公式」な板であって、批判者らが「現役の公式掲示板にOBがなだれ込んできている」と認識したのは当を失している。メンバらはこれを明示的に表現するためトップページのサイト名を一時、『落語大学「非公式」掲示板』と変更した(現役に管理を移管するまでこの名称は存続した)。某巨大板での批判の基調は「OBが現役に圧力を架けている」という旧弊で前時代的な世代間対立史観に立脚し、その視点でのみ論じられるという割と薄ペラな議論が主流であった(論者が少なかったことも影響していると思われる)。
 実は既にメンバらは世代間対立の時代を終えており、太陽政策(これは後に誤りであったとする自己批判がある。高野)時代に突入しており、後代の、舞台に登る背中を見せるだけでいいじゃないかというOB基本原理に未だ到達する前の状態であった。メンバらは某巨大板で展開されるこれら的外れな批判にめげず、ただ公式板を朗らかに回すことのみに終始傾注した。
 このように小規模ではあったが団体名を明記されたスレッドを立てられ他者からコテンパンに叩かれたこの一件は、後にいう「祭り」や「炎上」の初体験であったとみることができる。また身内専用の板を他者が批判的にワッチしていることを初めて知った事案であった。この状態回避のため、公式板と某巨大板はシンクロしているようで、してないような微妙な関係を保つ。沈黙し或いは挑発しつつ、様々な失敗を続けながらも沈静化を図るための最良の対応とは何かを考えていく必要に迫られた(とりわけ伝芸板3スレ目の命名などは公式板での命名が伝芸板スレ名となっているシンクロの例である)。
 さて某巨大板のスレ立ておよび書き込みは誰が行っていたのか。これは当時から諸説あり文面に手掛りや痕跡を見出そうと躍起になった。現役説、OB説、退部員説、他部説、他大説、他人説…。結局、これについては解答はおろか何ら類推すらも得ることはできなかった。
 また当面の対応策として、とりあえずメンバらは関係者としての書き込みによって燃料を注ぎ炎上を扇ぐ行為は決して行わないことを決定した。時折、誰か鉄砲玉が我慢堪らず突っ込んだりしている状況が何となく見て取れたが、概ね沈静化させようと努力した。
 メンバ間の連絡にはもはや公式板は使えぬ状況にあり電話での連絡を強いられていた。これは不便難渋を極め、外部からの検索にかからぬメンバ間連絡専用の掲示板の必要性が声高らかに訴えられた。この声を受けて設置された連絡専用掲示板は公式板の別名「表板」に対して「裏板」と呼ばれた。裏板には2期があり、初期のジオシティーズ使用期を『前期・第二和室』、エロ広告に閉口してより高い機密性を求めて移動したCGIBOY使用期を『後期・第一和室』と呼び分けている。これらの中では、この危機的状況に憂いを感じたレジスタンスたちが公式板に関する打ち合わせのみならず、冠婚葬祭の金額、今夜の宴会のお約束の場として激しくスレッドが立てられ積極的な書込みが行われた。
 
第3 騒動の拡大

 この騒動を受けてか、2002年7月4日、突然意味不明の宣戦布告とともに公式板に彼は降臨した。これが炎獄屋であり従来は彼との交流のみを「炎獄屋騒動」としたが、近時、某巨大板での紛争とこの「狭義の炎獄屋騒動」を合わせて「広義の炎獄屋騒動」と呼ぶ。
 彼は、某巨大板民らが注視する中、丁寧に自己紹介し、落語大学への挑戦を宣言した。当然、裏板は蜂の巣をつついたような状態となり、彼の人定が激しく交わされた。お互いがお互いを怪しみ、また様々な人間がその俎上に上げられた。メンバ以外では殊におっさんさんとまむしさんがまな板の上に乗せられみじん切りにされた。だが、何一つ彼らを特定する証拠とはなり得なかったのである。
 一点だけ明らかなのは彼のアクセスポイントがOCNまたはODNの北大阪のリモートホストであったこと、これだけは明確な事実である。彼の毎回の接続は明らかにこれであったので俎上に上げた候補者は全て覆された。
 炎獄屋は独自の世界観を吐いた。公式板のメンバは真摯にその世界観に対応した。図解し、分析し、様々な角度から論議して、何とか理解しようと努めた。しかしそれは支離滅裂、時として激しく振れ、創り込みが甘いとの批判が後に方々から上がることになる。これを概論すると以下の様になる(当時の図解から復元)。彼の世界はお笑いヒエラルキーな社会でその階層構造の序列第一位に大将・覇笑亭がいる、とする。この覇笑亭は1952年から2002年までの50年間眠っており、2002年当時まもなく目覚める予定であるらしかった。(注:2008年現在、覇笑亭が起床したという話を未だ聞いてない)。
 覇笑亭が目覚めると「第7次お笑い大戦」が始まる。この大戦が何を意味するのかは不明である。この目覚めの先触れとして「四笑王」と呼ばれる四人が順次一人一人「日本国関西地方全ての笑いの中枢(原文ママ)」である落語大学に遣わされるというのだが、まず第一番目に来たのが砕華亭凱羅であるとした。
 そして、驚くべきことに、この設定(四笑王が順番に来る)にもかかわらず、その後いきなり四笑王の第四番目であるとされる炎獄屋が来たのだ(結局、最後まで四人来なかった。設定の曖昧さに溢れている)。自己紹介によると、炎獄屋というのは彼の世界のスポークスマン的役目を帯びている。その彼が語るという設定に変更された(凱羅は消滅した)。
 
第4 騒動の終息

 大言壮語な自己紹介に続いて彼・炎獄屋が私たちに下した恐るべき挑戦。彼はそれを「試練」と称したと記録されるが、それは、なんと彼が出すお題に大喜利形式で回答せよ、とする実にしょぼくれた企画だったのだ。
 無論、メンバらがこの挑戦を無視するわけもなく3題ほどのお題をきれいに回答した。その後、何度かやり取りしているうちに薄っぺらな世界観にイラときたメンバがそれを指摘すると板上で彼は鮮やかに切れた。暴言を吐き、落大側に問題があるとする発言(女性に関するものであったという記録がある)を穿り出してきて「人権問題だから通報する」、と息巻いた。
 宥めすかしてみたが回復する様子がないので、今度はメンバの中の若手・豆蔵がぶち切れバスっと鰯揚げた。その後、中堅メンバの乱坊が「さっさと通報せよ、かねてからその手の団体の言論弾圧には承服しかねてきたのでどんな相手でもする」旨を警告した。
 すると何故か24時間ほどの間をおいて炎獄屋から謝罪があった。そして迷惑をかけたので再び来ることがない、と宣言すると消えた。メンバたちは「炎獄屋よ、そこまで落ち込まなくとも良い。また帰ってきて一緒にやろう」と復帰を再三にわたり提案した。
 中でも乱坊は特に炎獄屋の再来を強く呼びかけた。期間をおいて何度も彼に呼びかけ、当時まだ大淀にあった「夢通り」に来店するよう促した。しかし彼は再び掲示板に、そして「夢通り」にも来ることはなかったのである。彼はこうして本当に消えていったのだ。
 
第5 騒動のその後

 この騒動は単に「炎獄屋」と公式板という関係だけでなく、いかに非公式板であったとはいえ掲示板に「異質なもの」が入り込んできた時、如何に受け入れることができるかを彼らに実地で体験させた。
 裏板では、早い段階から公式板の管理を現役に移管するという案を市松が提唱していた。この広義の炎獄屋騒動を経て市松は管理の移管を決意し、OBは公式板から一切手を引き、以降OBは公式に書くことがなくなった。いわばこの炎獄屋騒動というのは「非公式時代」最後の、そして最大の盛り上がりをみせた瞬間であったともいえる。現在でもミクシで、或いは場末の酒場などで往時の公式板の賑わいを懐かしむOBは多い。
 
第6 炎獄屋の再来

 2004年、何の前触れもなく突如炎獄屋が再来した。再びあの2002年の来訪時の様にしょぼこいお題を連発した。しかし前項で述べたように、既に公式板は「非公式板」から名実共に公式板に移管されており、OBが皆無の回転しない公式板で当時の現役たちに放置された炎獄屋の書き込みが長らく頁の先頭に晒されているのをOBたちはかなり後になって発見した。
 連絡を受けてチラ見に訪れたOBたちは何ともいえない痛々しさを感じた、という報告がある。前出の乱坊は、あの時もう少し構っておけば共に杯を交わすこともできたのではないかと悔しがる。
 
第7 現在の炎獄屋研究

 炎獄屋(既に伝説となりつつあるが)はOBたちを虜にし、OBたちは彼との交わりに熱狂した。この経緯については乱坊の日記の過去ログにも散見される(「陣中日誌兼戦闘詳報」2007年1月3日および同年9月25日の条)。
 炎獄屋の研究は現在非常に困難を極めている。この騒動における膨大な発言群は優に2万5千レスを超えるが、それは凡そ3系に分類できる。これを主、副および補と仮に呼ぶ。主系とは公式板上の、副系とは某巨大板上の、そして補系とは他板上の発言群と定義し、補系のみ前・後期に分類する。
 さて、この3系の資料の現状は如何にあるか。これらの第1次資料(当時の各掲示板に書き込まれたテキスト文字列)は長らく乱坊がテキストファイルの形式で当時のシャープのメビウスとUSBメモリに全文を保存していたのであるが、2005年の忘年会の帰りにタクシーにカバンを忘れ、その双方を失くしてから爾来、散逸の状態にある。それ以降、彼は忘年会には手ぶらで行くことにしている。
 主系のスペック上、書き消されていく仕様で当時の状況は早い段階で滅失し果てており、復元は関係者の記憶に頼らねばならず、全員酒毒が回り切り軽く若年アルツな面子で構成されたOBにそのような芸当は困難な状況にある。関係者のHDの奥底から当時の発言の片鱗が発見されることを強く望むものである。
 では副系はどうか。これはdat落ちしていたものが近年html化され、根性を入れて探せば出てくるようになった。研究者には朗報である、かどうかは微妙なところである。恐ろしかったあの時代があなたにも体感できるであろう。
 補系はどうだろうか。これは現在も稼動し存在しているはずであるが、みんなミクシに夢中でほったらかしである。検索しても絶対に探し出せない設定になっているので当時のレジスタンスたちにおいてももはやURLすら不明な状態である。補系のそれぞれの管理者はURLをご通知願いたい。勿論これは研究者として大変恥ずべき状況である。ここを掘れば必ず可也のものが復元できるはずである。次代の研究を待ちたい。
 このような資料的にお寒い状態であるから「炎獄屋研究」は忘却との戦いとなっている。
 
第8 結び

 炎獄屋騒動の発端から早や9年目を迎えようとしている。もしかしたら彼は未だ公式をワッチし続けているかもしれない。またミクシで探しあぐねているのかもしれない。
 いい加減、マイミクのご通知を打って来い。お互いに年を取った。熱燗で小鍋をつついてしっぽりやろうじゃないか。北大阪なら服部なんかどうだ、みんなを集めるぜ。どこにいるんだ、炎獄屋。出て来い。

第47回、十三踏切。