第223回 母の日コンサート

 一週遲れで幼穉園の母の日コンサート。もりけん先生のハーモニカ演奏とお話を聞く會。
 妻、豫備校と關大圖書館の豫定につき僕が出席。お母樣方の中に父獨りだ。
 もりけん先生の演奏とは別に親にだけの講演あり。忘備に以下にメモす。
 
 出生時に胎兒の腦は大人比の五割、六歳までに同七割、十二歳で九割の各完成度なり。十三歳以降の殘一割の完成は論理的思考の學習にして、その以前九割は情緒と感性の叩き込みの時期である。
 大東亞戰役以前は學校・地域・家庭においてこの情緒、感性を培はんがため童話童謠が初等教育の根幹をなしてをつたが、敗戰の制度改革により文部省は全廢(に近く)した。
 彼は、自身も含め團塊の世代(彼は團塊)以降は、僕たちの世代も含め、情緒感性の貧困が著しい社會となり、それは道徳律の缺如となつてゐると説く。よつて團塊やそれ以降の大人が道徳を云々する適格はない。適時にある幼兒期に親が時間を割いて良本を讀み聞かせ、童謠を直に歌ふてやる。このやうな再びの家庭での刷込みを根幹とした情緒感性教育を取り戻さないと、家庭地域社會は確實に崩潰(既に序章であるが)する。反對に今からしつかりやれば若い世代から三十年あれば社會は再生できる。
 以上を要約すると、曰く、子等に讀んでやり歌ふてやつてくれと。下手でも構はん、親に讀んでもらつたといふことは子等は生涯忘れぬ。君逹親や爺さん世代は、解釋せんととにかく讀んで歌つて聞かせてやつてくれ。その受けた行爲と聞いた内容の價値判斷は、次の世代たる子らに任せるが、重層的な情緒ある時代や社會となる一助となるはずだ。それを信じてタヾひたすらに讀み歌へ、と。
 彼は幼兒出版社を辭め、四十代を蒙古の平原で暮らした猛者なり。最後に「ふるさと」を皆で歌ひ、こんな素晴らしい歌のある國であることを教へてやつてくれと、彼は言つた。
 
【陣中日誌兼戰鬪詳報】
晝、素麺、鷄の唐揚、すり身の天ぷら、鷄の玉紐の煮付、キュウリの鹽もみ。
夜、うどんすき。