第170回 上申書

阪高等檢察廳檢事長 殿

              住所 (省略)
              氏名 亂 坊   印

 私は國際御飯學會の日本支部事務局長で亂坊と申します。この度の事件につき私の知つてをります事を包み隱さず申上げます。
 私がこの事件が刑事事件となつてゐる事を知つたのは、平成19年3月19日の夕方頃、突然、御廳公安部の方が私の自宅にお越しになり約1時間程度の任意の事情聽取を受けたときであります。
 京都學派の領袖であつた大山田彦次郎先生(享年86歳)が、あの御茶漬論爭での敗北の後、飯研の京都研究所に自ら火を放ち自決をされた事は、私の部下で情婦である事務員のエリザベス孃(32歳)から情事の際に聞いて知つてはをりました。
 その際、彼女に情報の出所を問ひ質したるところ「新京都學派」を名乘る男性からの電話で「大山田先生は自決した(乙一號證「エリザベス陳述書」62頁21行目)」と一方的に告げられた旨説明を受けました。
 さて公安部の御話によると「大山田氏の遺體の状況から鑑みて單獨の自決でなく介錯をした者がゐる」との事でありましたが、私はこの介錯人が誰であるかについては何も知り得る立場にありません。また萬一「介錯」が「自決」の前であつたとすると殺人事件となるさうですが、もしさうだとすると「大山田先生の自決或いは殺害によつて最も利益を得た者は誰か」といふ事が大變重要な問題となつて參ります。この事に關しましては私共の學會の中でも隨分と論じ合はれてきましたのでその一端をお話し致しておきます。
 當時の御茶漬論爭の事情を知る者逹の中では、第一に犯人として大山田先生の論敵であつたウイグル大學の小日本御飯研究班のねぢれ氏が疑はれてゐたのは事實です。しかし當時彼はウイグル自治區に出張中であり、犯行が物理的に不可能であつた事は御廳での取調の際に既に私が申し述べた通りです。
 次に利益の享受者として名前が取り沙汰されてゐたのは、やはり大山田先生の直弟子でありながら事件直前に何故か袂を別つたとされる所謂「京都學派の殘黨」で「新京都」と自ら稱した一八氏といふ方であります。同氏は事件後「舊京都學派の眞正なる承繼人」と聲高に名乘り、莫大な研究費と實績、成果および名譽の一切を引き繼いだものですから、その全てを金錢に換算すると物凄い價値となりましたので、本學會の各國支部が騷然としたのもこれまた事實です。
 本件に關してこれ以上の詳しい事は私にはわかりません。
 私は本學會發展のために新京都學派が誕生した事は心から喜んでをりますが、このやうに血なまぐさい噂や疑惑の對象となつてゐる事は非常に殘念でなりません。また事件發生以降私共の事務所への過剩なマスコミ取材などで業務が完全に停止状態にあり大變な迷惑を被つてをります。
 私はこの新京都學派や一切の事件とは何らの關係にもない事をこゝに明言致します。
 終りに臨み、御廳のご活躍により一日も早く眞犯人が逮捕されますやう願つてをります。

 以上、上申致します。
 
【陣中日誌兼戰鬪詳報】朝、シソご飯。晝、ケンタツキィフライドチキンにて三ピィスとヒレオヒツシユ、コォラM。夜、イカナゴの釘煮、ウヰスキロツク。


コメント

一八 2007年03月23日 02:00

 訴状を見てをりませんのでコメントできません。當時私は新京極で映畫を見てをり、火災の難を逃れました。映畫の半劵がそれを證明してくれることでせう。眞實はひとつです。

表現舎亂坊 2007年03月23日 09:28

(檢察官、勢ひよく立上り)
 「異議あり!裁判長!被告人の新京極におけるR15指定の成人映畫の鑑賞が事實と主張するならば、その半劵の證據提出を求めます」
(裁判長、左右の陪席と相談して)
 「異議を認めます。辯護人、次囘期日までに證據の提出をお願ひします。被告人もよろしいですね」
 すると、その時である。法廷の扉がバーンと開いた。廷吏が身構へる。皆の視線が集中する。なんと、そこには、我らがエリザベス孃に付き添はれたJG、つまり懷かしのジョゼッペ・グリマーニ元イタリア空軍中將の姿が!
 裁判長が言つた。

 「こ、これは…!」

 圓九君、大流行ですね。嫉妬します。

一八 2007年03月23日 11:37

(テンツテン/\、テンツテン/\)

 ひこく人ふんぬのぎやうさふものすごく
 にらみ付けるはえりざべす。
 廷吏すかさずそのうでとるが
 ひたひにひかるあぶらあせ。

(テンツテン/\、テンツテン/\)

 えりざべす、えりざべす、あゝ口惜しやえりざべす
 ひこく人、せきにつけとの諫めも聞かず
 ひとつとびにと打ちかゝる

 そこへじよぜつぺぐりまあに
 取り出したる紙切れ見れば

(トテチン)

 こ、こ、こゝこゝ これはぁぁぁぁぁぁあ!(絶叫)