第144回 新しいお家

 子供が小さかつたので長らく旅行になど行つてなかつた。一泊二日、そこ/\と言はれてゐるらしい旅館に泊まつた。立派なお部屋、豪華なお食事。堪能して歸つた。
 歸りの車の中でまつ梨がむずかり出した。眠いのもあったろう。彼女は妻のお膝の上で半泣きになりながら叫んだ。
 「きれいなお家に帰りたいのぉ、新しいお家に帰りたいのーぉ」
 旅館の部屋のことを言ってるらしい。初めての経験で嬉しかったようだ。旅館と住居の使用目的の区別がないのだろう。可愛いことを言う。
 しかし今は天寧が寝ているので、あまりむずかられても困る。なだめるために、僕は言った。
 「大丈夫や、大丈夫や。いつものお家、大阪のお家に帰るよ」
 すると
 「いやーぁ、古い、汚い、狭いお家イヤーぁ」とまつ梨。
 「大阪のお家」は逆効果だった。三歳のくせして「古い、汚い、狭い」と畳掛けやがった。可愛くないことを言いやがる。
 最後には「新しいお家買ってぇー」と仰け反る始末。妻が「お父さんに言いなさい」とまつ梨に言う瞬間、左の口元から笑みが零れたような気がした。
 このままでは車中の雰囲気は住宅問題に直行しそうな気配。僕は方向指示器もつけずに大胆にハンドルを切った。寄りたくもないサービスエリアに進路を取ったのである。
 
【陣中日誌兼戦闘詳報】朝、残ったおでんの汁でシャモニ風おでん汁飯。昼、ハイハイタウン大鵬閣でいつもの皿うどん。夜、広告からの御接待で潜水艦、キャバクラ、クラブの三軒はしご。後の二軒は蛇足。