第907回 喜六會長ご母堂樣ご逝去の報

阿【あ】(名)をか。丘陵。くま。曲隈。きし。岸崕。むね。屋棟。おもねる事。へつらひ。「阿附」。「阿洲」の略稱「南阿戰爭」。― 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂發行昭和12年1月25日新訂360版より引用
 
 前項本文およびコメント欄で申し述べたやうに、喜六會長のご母堂樣逝去の報に接したる余等はミクシ板上にて熱狂を繰り廣げたり。其の様、常人には少々狂態を感じたるやも知れぬ。
 余等には豫てからの慣習あり。通夜なるものは騷ぎに騷いで、陽氣に故人をお見送りするものなり。
 通夜式で互ひに顏を見合はしたる折りに、沈んだ雰圍氣なれば皆が口を揃へ斯くの如く言ふ。
 「何や、辛氣臭い!お通夜の晩みたいな顏してからに!」
 余等は通夜を騷ぎ倒す。其の際、心中にて念ず。
 「貴方のご子息は、斯くも澤山の阿呆な仲間に圍まれ、此の社會の中で皆と關はり合ひを持ち樂しく生きてゐます。
 經濟的成功は、實は、我等が眞に人生最大の目標となすものに非ざる事は、既にご他界された貴方こそが今や痛感爲されてゐる事と存じます。
 貴方のご子息には、一大事にワラ/\とボッ被りの如く集まる阿呆の仲間が斯くの如く居ります。
 是れは是れで或る意味心配かも知れんけど、此の中で『お父貴』やら『兄弟』等と互ひに關係を持つ愉快な仲間たちの中で生きてゐますよ。
 どうか後の事は心配せんと逝つて下さい。親御様、貴方にお會ひした事はないけれど、是れもご縁、又近いうちにそちらで逢ひませう。さやうなら」。
 而して、佛の横で夜を徹して飮む。是れこそが夜伽なりと信じてゐる。
 一月一五日金曜、會長の愉快な仲間たちは一切仕事手に付かなんだ。夕刻より仕事をほつぽり出して豐中は服部村に馳せ參じる者等、其のミクシボイスが上擦つてゐるのを見る。愛すべき阿呆たちなり。
 余も會費と袋を用意して阪急に飛び乘る。服部驛に着き「服部會館」を探す。
 驛前のパチンコ屋が「服部會館」なり。洒落がきつい。流石に喜六會長といえどパチンコ屋で夜伽を爲すとも思へず、驛員に聞くと「パチンコ屋でお通夜はないだらう、北東方向にある別の服部會館に非ざるか」とのご助言。そりやさうだらうて。
 十八時に現着。亞と無師(生き靈に非ず本物だつた)、やん愚兄、烏龍君等が受付係とてニコ/\笑つて立ち居たり。
 其の横に會長の會社の女性社員と稱する「お春ちやん」居たり。即座に余は戀に落つる。余が、女性の理想像とするゴージャス・クレバーにしてキュートといふ女性の三大條件を兼ね備えた才色健美なり。齡未だ若く、美しき事甚だしき。此の人との人生もあつた筈だと余心中にて悔しがる。人生を交叉せしむるのが遲すぎた。殘念なりき。

次章へ続く。